jeudi 17 août 2006 20:32
食への偏見
夏のつわりはしんどい。初めてなので確信は持てないが、夏は気温も湿度も高い分、ニオイがムッときてウッとくるからだ。
キッチン(特にゴミ箱まわり)、トイレ、洗面所、スゾン部屋、寝室(だいちゃんの汗の臭い)、すべてダメ。
もはや家の中に、わたしが無傷でいられる場所はなくなってしまった…
コーヒーを飲んだ後のだいちゃんの口臭すらダメだ。
だいちゃんが悪いんじゃないのに、クサイクサイ言ってごめんなさい。ため息ついてごめんなさい。
今、生まれて初めて鼻が正常かつ敏感にニオイを察知しているのだね。
今までのわたしの鼻は、ただの飾りでしかなかったよ。
そんな今のわたしの食生活は、なかなかにサヴァイヴァルだ。
とりあえず寝起きですぐに口に入れられるものを確保(ゼリーとかプリンとか)、食事は食べられるものは食べられるうちに胃に押し込んでおく、緊急時に備えてパンやおにぎりも揃えておくと望ましい。
これが理想なのだが、なかなか買い物にも行けないので、冷蔵庫がカラッポになってしまう時がある。
まさにピンチだ。こんなときは眠ってやり過ごすか(オススメしませんが)、同伴者がいる場合はブルブル震えて脂汗をかいて少々前屈みになりながら買い物に行くか、外食するしかない。
結構しんどいので、こういうケースはできるだけ避けたい。
で、今すごく残念なのが、食事を楽しめないことだ。
急に「ウッ」と来て食べられなくなるので、それまでに食べられるものは食べとかなくちゃ! という、非常に事務的な食事になっている。
恥ずかしいことにわたしはこの歳になるまで食にほとんど興味がなく、結婚してだいちゃんの食べっぷりを毎日見ていてやっと、食べることが「美味しいこと」「楽しいこと」だと思えたクチなのだ。
だからつわりのせいで食事を楽しめないことが、本当に残念でつまらなくてしょうがない。
20代までのわたしは、食に対して大変な偏見を持つ人間だった。
【わたしの食に対する偏見の例】
・食べることそのものについて=恥ずかしいこと、野蛮なこと
・丼もの=婦女子の食べるものではない
・和食全般=食べるのがめんどくさい、食べててつまらない、やる気なくす
・煮物=呪いがかかっている
味がどうこう以前の問題である。
こんなよくわからない理由で、わたしはあまり食べることが好きじゃなかった。
自分でもあんまり正当な理由ではないことがわかっていたので、言い出すこともほとんどなかったが、一度正直に、
「煮物は呪いがかかってそうだから、嫌いなんです」
と言ったら、そんな理由で好き嫌いするなんて、と爆笑されたことがある。ちょっと悔しかった自分。
料理を作っていた母との味覚の違いも大きかった。
母は東北出身なので常に味付けが濃かったのだが、東北×北関東の親の子として生まれたはずのわたしは、なぜか薄味好きだった。
母の作るお味噌汁はしょっぱくて、すごく嫌だった。
煮物に関しても同じことが言える。しかも煮物はさらに大鍋でグツグツやっている感じが、呪いっぽかった。
なんか情とか念とかが込められてそうで、
「あー食べるのめんどくさそう」
と、避けてきたのだった。
しかし薄味好きについては、後に関西人と結婚したことは偶然だが、大変ラッキーであった。
白みそ、白だし、バンザーイ!
そんな偏見に加えて味音痴なわたしは、食べることの楽しさを知るまで、同じもんばかり食べていた。
小学校卒業するまでは、外食ではずーっとお子様ランチ。
一度、友達の家族とはち合わせしたことがあり、友達が和食のセットみたいなのを食べてるのを見て、「大人…」と思ったものだった。
でもお子様ランチは、食べるのが楽でわかりやすく美味しい、ハンバーグとか唐揚げとかスパゲティとかがいっぺんに入ってるのだ、便利だろう。しかも旗までついてて、かっこいい。
中学生から大学生くらいまでは、えんえんとドリアかスパゲッティ。
そうそう、わたしは皿数の多い料理も好きじゃなかったのだ、だっていっぱいあってめんどくさいじゃん。
そんなわけで定食とかも、ほとんど食べたことなかった。
働き始めてからは、最初はこれまた毎日、おにぎり2個。
大人になってからは食べているのを人に見られることをあまり良しとせず、休み時間におにぎりをパパッと食べて、あとは涼しい顔してタバコを吸っていた。
別にそんなに何本も吸いたくないんだが、間が持たないのでスパスパプカプカやっていた。
おかげでニコチン中毒になった。
飲みに行ってもやはり食べずに飲んでタバコを吸うだけなので、飲み会の次の日は痩せた。
でも毎回、会費以上に飲んでるので、食べ物についてどうこうは思わなかった。
で、この間、家での食事といえば、白米は食べられず、肉も野菜も食べられず、魚とお菓子でどうにか食いつないでいた。どんな組み合わせだ。
さすがに大学生になってまで、
「めーぐちゃん、あーともー少し、がーんばれ」
と母に手拍子されながらサラダを食べきった時は、ちょっと泣きそうになった。
でもあの頃はそれで足りてたんだもんなー、ほんに食の細い子であった。
正確には家では時々ドカ食いする(それも納豆ご飯オンリーとか)、食べ方にムラのある子だった。
実家の両親は最近のわたしの食べ方を見ると驚く。
最初の転機はパリ留学から帰国した時だった。
9月でもおそろしく寒いパリでわたしは風邪をひき、鼻水たらして学校に通っていた。
冷えきった体で家へ帰ると、マダムが浮き浮きして
「メグミ、今日の晩ご飯はコメよ!」
と言う。
あぁ〜助かった、これで温まれる…!
郊外の一戸建てに間借りしていた食べ盛りのわたしは、毎日、老夫婦の出す質素な野菜中心の食事で、軽く栄養失調になっていたのだ。
喜び勇んで食卓へ向かうと、出されたのはsalade niçoise(ニース風サラダ、正確にはsalade camarguaiseカマルグ米のサラダだと思う)。

ウソォォォこんなの、米じゃないぃぃぃ〜!
冷えて熱のある体にムチ打たれたわたしは、その後ラーメンや安い中華などを食べて乗り切り、帰国すると白米大好きっ子になったのだった。
生まれて初めて日本人でよかったと思った瞬間だった。
それから周囲の人に連れられて美味しいお店に行ったりするようにはなったが、相変わらず食に対してはなかなか能動的になれなかった。
やはり決定的だったのは、だいちゃんと結婚したことだ。こんなに食べる人間を初めて見た。
彼の食べっぷりは凄まじいし、本当に美味しそうに食べるので、食べることって楽しいんだなー美味しいんだなーと、価値観がガラっと変わった。
だいちゃんのおかげで、よくわからない偏見や偏食もほとんどなくなり、今やどうしてもダメなのは牛乳とレバーとうなぎを残すのみとなった。
肉も野菜も米も煮物も克服したのである。スバラシイ!
おかげでよく太るようになったけど、たぶん今、人生で一番健康な体をしてると思う。
あんな食生活では、バッタバッタ倒れるのが当たり前だったから。
最初の頃は、だいちゃんの前でもよう倒れてたのぅ…。
本当は、食べることを恥じたり興味を持てない自分が、ずっと恥ずかしくて嫌だった。
高校の時の友達たちは、女の子でもすごく美味しそうにたくさん食べる子が多くて、そんな彼女らをいつも羨ましく思っていた。
本当は、あんな風に自由になりたいと思っていた。
でも自分に関してだけは、そうなれなかったし、なることを許されなかった。
食に関してだけではなく、自分の中であらゆるルール(ほとんどがよくわからない理由の)がびっちりと決まっていて、自分自身を制限していたのだ。
それが、脳に咲いた花の毒の作用だった。
わたしはずっと、自由な人間ではなかった。
30歳にもなって食べる楽しみを知ったので、今さらそれを奪われるのが非常に納得いかない。
しかしあと数ヶ月もすれば、また何でも美味しく食べられる体に戻るだろう。
問題は、子を持つ親になって、子のためにどんな食事を提供してあげられるだろう、ということ。
食べたことがない料理がいっぱいあるので、どうやって作ればいいかわからないのだ。
たとえば子供の好きそうな肉じゃが。だいちゃんも大好きだけど、ほとんど食べたことがないので、いまだ作ったことがない。
まーしかし要領はいいので、本見れば何でもできるだろうけど…。
あぁ、早く何でも美味しく食べられる生活に戻りたい!
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