samedi 10 février 2007 16:14
そんな可愛くねーだろ

だいちゃん、帰ってこないな〜。待ち疲れちゃった。
(いつも写ってる緑のボロボロのタオルは、ズゾンのお気に入りです。ズゾンはすぐオモチャを散らかすの)
出かけると、よくトイプードルを見かける。
(だいちゃんは直感でトイプーに決めたので、「流行ってるの?」なんていまさら聞いてきたりする)
今日すれ違ったのはとっても小さなチョコレート色の子で、小脇に抱えられておとなしかった。
小さいけど、きっとズゾンより年上の子だと思う。毛がフワフワで大人っぽかったから。
ものすごく可愛らしい顔をしてて、「うわー」と思わず目を奪われたほどだった。
きっとすごくいい血統の、お高い子なんだろうなと思った。お手入れもお金かけてるっぽいし、もしかしたらショーに出てる子かもしれない。
ズゾンだって、お散歩に連れてくと可愛い〜って言われるのだ。
「ほら見て、すごく可愛いお顔してるね〜」なんて、ベタ褒めされたりするのだ。
もちろん、そう言われて悪い気はしないけど、でもわたしは「そんなに言うほど、可愛くはねーだろ」と思ってしまう。
そりゃーわたしはズゾンが可愛い。だって家族だから。
家族だけど、でも自分がズゾンやララァたんの親だとは思えない。
動物病院で、「ほら、お母さん来ましたよ〜」とか言われると、ものすごい違和感がある。
最近はペットの飼い主って”お父さん””お母さん”て呼ばれるものなんだね。
飼い主自身も自ら、”父ちゃん”とか”ママ”とか名乗っちゃって、何でそんなに簡単に親気分になれちゃうのか、不思議。
確かに母性本能はくすぐられるけど、やっぱりわたしはこの子たちの親じゃないよ、と思う。
親じゃないとは思うけど、家族だなとは思う。
だから、わたしはズゾンもララァたんも可愛いし、好きだなーと思う。
でも、他人から見てそんなに可愛がられるほど、可愛い顔した子たちだとは思わない。
つまり純粋に美犬とか美猫とかってことなら、十人並みだと思う。
ふと、こういう感覚って、これから産まれてくる赤子に対しても同じなんだろか、と思った。
きっと産まれたてや、小さいうちは「可愛い」と言われたりするんだろう。
そりゃーわたしは自分の子が可愛いと思えるだろう。だって自分の子だから。
でも客観的に見て”美”な子じゃなければ、どれだけ「可愛い」と言われてもわたしはやっぱり、「そんな可愛くねーだろ」と思っちゃうんだろうか。
だってその「可愛い」はさ、小ささとか子供っぽさとかに対する賞賛であって、純粋に本人を評価してるわけじゃないんだもの。
こういうのを自ら喜べたり、同調できたりするのが、親バカってものなんだろうな。
さすがに自分の子供が産まれたら親バカくらいにはなるかと思ってたけど、この調子じゃどうだろう。
親バカさがないのって、ちょっと寂しい感じ? つまんないかな?
いやいや、わたし自身がたっぷり犬にも猫にも赤子にも愛情を持てれば、周りにどんなにドライと思われようが、かまわないはず。
誰が何と言おうと、わたしはこの子たちが好きだし、可愛いだろうからさ。
しかし、犬や猫は人間に可愛がられるように改良されてるし、いつまでも従順で一緒にいてくれるからきっとずっと可愛いだろうけど、人間はそうはいかないよね。
人間の赤ちゃんも可愛がられるようにできてるって言うけど(天性の上目遣いはそのためのものだとか)、成長していったらいつかは、親とは違う世界を持つ個人になるだろう。
そう思うと、可愛げのあるときなんて短いよな〜。
もちろん子供の魅力は可愛さだけじゃないけどさ、でもわたしは可愛いものが好きだから、可愛さがあっちゅーまに失われる人間は、育てがいが少なそうだ。
なんて、またも産まれる前から厭世的な気持ちになっている。
「せっかく苦労して産んで育てても、つまんなーい」なんて。腹の中の人にとっては、なんて愛情の薄い親だろうと思うことだろう。
でもしょうがないじゃん、事実だし。
ここ数日、確実に腹の中の人が下がってきたような感じがします。
おへそより下が重たくてしょーがない…胎動を感じる位置もだいぶ下で、なんかもーこそばゆいというか痛いというか、変な感じ。
明後日から35週で、来週には臨月突入、再来週には正期産に突入するけど、もしかしたらちょっと早めに出てくるのかも? なんて気がしてます。素人判断だから、ほんとのとこは全然わかんないけど。
最初は「遅れる」って、きっぱり言われてたんだけどなー。
でも、もうさっさとひねり出したい。つらい、この体。
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