dimanche 04 février 2007 20:48
AMER BETONを観た!
鉄コン筋クリート。フランスではパリのmangaヲタ総本山TONKAMより、AMER BETONというタイトルで出版されています。

(ピンポンの中でも、ペコが食べてるお菓子のパッケージなどに描かれてます)
フランス語で「鉄筋コンクリート」はbeton armeです。
でも、日本語の「鉄コン筋クリート」というひねったタイトルに呼応するように、amer betonと、一文字入れ替えたようです。
他の国でも翻訳化されてますが、こうやってタイトルにひねりを入れてるのはフランス版だけのようです。
アナグラムのような言葉遊びはフランスのお家芸なので、やらずにいられるかってとこなのかもしんないですが(それがわたしの卒論のテーマでもあった)。
amerは「苦い」という形容詞になります。何となく、ストーリーに合ってる気がしなくもありません。
前置きはこのくらいにして、やっと映画を観てきました。
感想としては、十分よくできた仕上がりだと思いました。
「たからちょう」より「たからまち」の方がしっくりくると原作を読みながら思っていたし、Plaidの音楽も、とてもわたし好みだった。
わたしは、オープニングから涙が止まらなかったです。
と言うのも、たまたま今朝、ギャーッとなって暴力的になってしまうときの夢を見たから。
これは、すごく悲しいことなんです。朝起きたとき、とても胸が重かった。
だから、わたしはシロが叫ぶたびにつらかった。どうしてもシロと自分を重ねてしまう。
鼻から脳ミソ出てるのも一緒だし(首からトイレットペーパー下げとけと言われたこともあります)、冬が嫌いだし、夜になると悲しい気持ちになったり、どうしても何となく胸のあたりがざわついたり、そういうのが共感できる、というレベルを超えて、まるっきりあれは自分だと思ってしまうのです。
きっと、クロの悲しさの方が人の琴線に触れやすいだろうし、理解もしやすいんだろうな。
でも、やっぱりわたしはシロでしかないな。
蒼井優ちゃんの声は、とてもシロらしいと思った。ただ、物語に抑揚をつけるためか、シロが抑えた口調になるシーンも多かったように思う。
これだけは、違うと思った。シロは常に、力いっぱいバカなのだ。トチ狂ったテンションなのだ。
だからこそ、シロは悲しいのだ。じっちゃがシロを見てると悲しくなる、と言ったのは、わたしはこういうことだと思ってます。
鬱状態より躁状態の方が、つらく悲しいものだ。
だいちゃんは原作ではクロの方が悲しいと思っていたようだけど、映画を観てシロの悲しさにもいたく心を打たれたみたい。
わたしは始終泣きっぱなしだったけど、きっとだいちゃんも泣いてたと思う。
スンスン言ってたから。だいちゃんは寝ながら笑うときと、こっそり泣くときは、スンスン言うのです。
映画を観るために松本大洋作品を読み返して、あらためて自分は花男・シロ・ペコ派だと思った。
だから、生活能力ないんだね…だから、何とかして理屈で固めていないと、ゆるゆるよろよろしてしまうんだ。
わたしにとって理(ことわり)というのは、自分をしっかり立たせていられるために必要なものなんだと思った。
ただ、立つのだけで精一杯で、生きてゆく力はやはりないんだけど。
だから、わたしには彼らと同じように、さらに相棒が必要なのだと思った。
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