mardi 12 septembre 2006 21:41
30回目の食い逃げの日

今日はだいちゃんのお誕生日。
とうとう30歳になりました。
初めて会ったときはまだ23とかの若造だったのに。
いや若いのは歳だけだったけど。
わたしたち夫婦は毎年この日から約1ヶ月間、同い年になれるんだよ。
いや普段から年齢逆転してるけど。
じゃぁ、今日はだいちゃんのことを考えよう。
だいちゃんはたくさんの幸福と、並外れた叡智を授かって生まれたの。
でも神様には、宇宙のバランスをとるという重要なお仕事がある。
だからきっと、多くを持っていただいちゃんに目をつけたのかも。
彼にはたくさんの不幸が見舞われた。
不幸に遭っただいちゃんは誰にも何も語らず、身近ではない人たちに限って、屈折したかたちで心を開くだけだった。
わたしが出会ったのはそんな頃。
でもわたしはすぐに彼を見透かせてた、だってよく知ってる人だったから。
でも、すでにその頃には脳に咲いた花が満開だったわたしは、まるでとてもバカみたいで、バカみたいに振る舞いながら、バカみたいなことばかり言っていて、ほんとに誰からどう見てもバカばかしかった。
だけど、わたしはだいちゃんのことを見透かせてたの。ちょっとだけわたしの方が上手だったの。
だいちゃんには不幸が起こった、わたしにも不幸みたいなことが起こっていた。
でも、狂って壊れてしまったのはわたしの方だけだった。
だいちゃんは、すごく強いの。
世界がどんな目に遭っても、周りの人たちがみんな死んでしまっても、絶対にだいちゃんだけは無事に生き残る。
そういう意味でも、わたしたちはとてもお似合いなの。
わたしは、宇宙がどんな目に遭っても、親しい人たちがみんな目の前で死んでいっても、ちゃんとそれを見届けて、生きていなくちゃいけないから。
まさかそんな頃に、生き残ってる人間がいるとは思わなかったよ。
それがだいちゃんで、よかったよ。
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とまぁ、トチ狂った話はここまでにして。
実際のところだいちゃんは、わたしと結婚することでとても苦労をしたけど、ここ数年はお互いの努力で、とても心豊かな生活ができてると思うよ。
だいちゃんは無知なわたしに教えることを厭わなかったし、無知なわたしは無知であることにも知ろうとすることにも臆さなかったし、逆にわたしがだいちゃんが無知であること、感じたことのなかったことも教えてあげられたし。
今はご飯の支度とかケダモノの世話とか、よくやってくれてえらいよ。
ただ、なぜかときどきわたしが妊娠してることを忘れてるみたいだけど…じゃー何のためにアナタは家事労働をしてるのか…。
眠る前に、いろいろおしゃべりするのが好き。
最近はもっぱら、腹の中のものの話。
わたし、きっとエコーで見たら頭からいっぱい線が出てる人なんじゃないかって思ってたけど、そんなことはなくて(それは小学生のときの自分だった)、でもまだ頭が大きかったから、だいちゃん似かなぁなんて話してた。
(余談:知能と脳の大きさは比例しないらしい、でもだいちゃんはやっぱちょっと脳もでかいらしい、いや、もしかしたら脳はちっちゃくて、あとは全部髄液かも…いやぁぁー! なんつって、はしゃいだりしました)
だいちゃんと、わたしの子供ってどんな風になるだろう。
だいちゃん:顔、体ともに南方系
すいたん:顔→北方系、体→渡来系(くそぅ)
だいちゃんの方が全体的にプリミティブにできてるし、遺伝子も濃そうで生命力ありそうなので、たぶんだいちゃんに似るよって、だいちゃんは言う。
その方がいいな。わたしに似てる人がでてきたら、ちょっとやなの。キモイ。
そういえばこの間TVでやってたけど、もし日本が二次大戦後に分割統治されていたら、東京のわたしはアメリカ人、兵庫のだいちゃんは中国人になるところだった。
うーん、きっと東西ドイツみたいになってたんだろな。
ということは、出会うこともなかったかも。
しかしそんなことより、わたし資本主義の国でよかったー。アメリカ嫌いだけど。
最近のだいちゃんは自由そうで、いいね。
すごく楽しそうに笑うし、すごくリラックスしてる。
わたしもだいちゃんと一緒にいて、だんだん自由になってきたよ。
あと、偏食をなくさせてくれて、ありがとう。
おかげで太りやすくなったけど、まぁ健康になったからいいよ。
さー、だいちゃんのことで今、考えるのはこれくらいかな!
週末にはだいちゃんの大好きな肉を食いに行きましょう。
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