lundi 30 octobre 2006 22:38

昔の子供、これからの子供

今日から20週、妊娠6ヶ月めに突入です。

ここ最近は一日のほとんどを眠り、食事は一日一食、ときどき眠る前に少し何か食べたりします。
もともと食べられればいいや、という姿勢なのであまり気にならないけど、夕食はだいちゃんが毎日頑張って作ってくれています。毎日とてもおいしいです。

起きているときは、知りたいことを同時進行で調べています。
今は、反ユダヤ主義またはアーリア思想、被差別部落問題、納豆、国内外の事件、特に戦前から戦後の犯罪史、中でも少年犯罪を追っています。
要は、もう悲しいことはうんざりだってことです。
が、被差別部落問題は自分が(おそらく)縁のない土地で育ったせいか、内容のせいか、難しくて理解が追いつかない…。
納豆は、なぜ近畿・四国・一部を除く九州地方では食べる習慣がなかったのか、歴史的背景を探し出すのに苦労してます。
両方に関して言えることは、北海道と沖縄は、けして差別的な意味ではなく、日本ではなかったのだなぁということです。

わたしは昔からよくたくさんのことを知っていると言われることが多かったですが、本当はそんなことないです。
びっくりするほど無知だなぁと思います。
でも、だからこそ知ることがうれしくて楽しくて、知を得るために必死なのです。


ほいで、少年犯罪なのですが、はっきり言って戦前戦後も、今と大して変わらないです。
子供が被害者になるのも、加害者になるのも、昔から普通にあったことなんだなぁと思いました。
80年代以降にロリコンつう概念がハバをきかせてきたので、今は年長者が子供に手を出すと騒がれますが、そんな概念がなかった頃から大人も、中高生も、小学生だって、少女や幼女に手出してるよ。
もともと処女信仰や若い娘の方がいいっていう日本なので、年齢差に関してはそんなにおかしなことでもなかったのかもしれない。
わたしは東の人間なのでよく知らなかったけれども、西日本には夜這いなんつう非文化的な文化もあったし。
ちなみにロリコンの由来だというナボコフのロリータは、大変芸術性の高い小説です。
ロリコンを何だかんだ言う前に、ぜひ一度読んでもらいたいんだけどね。読めば、既成の価値観覆されるから。

昔の少年犯罪っていうと貧困からとか、教育が行き届いてなかったからとか思われがちだと思いますが、意外とそういうわけでもないです。
中流家庭や社会的地位のある家の子も多いし、小中学生で異常性欲の持ち主とかも普通にいたみたいだし。
だから、2000年に17歳の犯罪が多発してからやたらと少年犯罪があーだこーだ言われるけれども、実数は昔から大して変わらないと思われます。
このページ、ちょっと情報は古いけれども、冷静に分析してます。
報道のイメージに騙されず、きちんと統計を見るようにしてみましょう。
ネットにつなぐことができれば誰でもデータを見ることができる「犯罪白書」

と、書かれています。
事件を追っていると、その時々でマスコミのあり方に疑問が出てきます。
人はもう少し自分をきちんと持って真実を追究しないと、簡単に扇動されてしまいます。これは怖いことです。
目の前にあるネットは、ただ他人と交わったり駄文を書き連ねるだけでなく、リサーチするのに一番手軽なツールだということを、忘れたくないと思います。

やっぱり、感情にまかせて安易に「昔は良かった」、なんて言ってはいけないなぁ。

子供を産んで、人を育てるということは、自分の子供が犯罪の被害者にもなりえるし、加害者にもなりえることを頭に入れておかなくてはいけないと、つくづく思います。
でも人が人を育てることって、大変なうえにとっても難しいんだろうなぁ。

だいちゃんとわたしは、たとえ周りの環境がどうであろうと、自分をしっかり持って流されなかったタイプです。
(注:だいちゃんは雑音が聞こえないし、聞こえたところでまるっきり気にならないタイプなので流されることもなかったけど、わたしは雑音に悩まされながら必死に抗って生き抜いたタイプなので、あまり一緒にされたくはないのですが)
そういう二人がたまたま夫婦になって、今から人の親になろうとしています。
でも明らかに、こういうスタンスの夫婦が、親が、レアなケースだというのは目に見えています。
わたしたちがどんなに誠意を持って子供に接しても、子供が大きくなって学校生活をする頃には、どうなるかわかりません。
大きなものに流されるのも巻かれるのも、容易いことです。
たとえわたしたち親が流されないタイプであっても、子供もそんなに強い(あるいは弱くても必死に立っていることができる)人間だとは限りません。
それに、何もわたしたち親みたいに生きることより、大きなものの中に委ねて暮らす方が、より簡単に幸せを得られるかもしれません。

今わたしがあれこれ考えても、要は子供次第なわけで。
その子供がどんな素質や資質を持っているか、どんな性癖を持っているか、それによって本人の幸せは左右されてくるわけで。
わたしたち親は、結局それをサポートできる時間の間だけ、できるだけ手助けしてあげるしかないんだと思っています。
ただ、子供は間違える生き物なので、その点に関しては取り返しのつかないことにならないように、監督指導する必要はあるだろうなぁ。

昔、ニュース23で灰谷健次郎と柳美里が、スタジオの若者たちも含めて討論したことがあったけど、その中で灰谷さんは「子供は純粋なものなんだ」みたいな性善説をえんえんと語っていて、ものすごくとんちんかんなこと言ってるなぁと思ったし、この人は児童文学を書いてる人なのに、まったく子供のことを理解してない、向き合っていないなぁと思ったことがあった。
個人的には柳美里みたいな、出自からのわかりやすい偏りを持った人も苦手だけど。

子供が純粋なのは、自我が出てきて言葉を覚えるまでくらいじゃないのかなぁ。
産み落とされたままの、つるりんとした状態までじゃないかと。
子供だってしょせん人間だからね、大人と同じように一概に純粋とは言い切れないと思うなぁ。
大人の幻想だよね、そんなの…。
だからこそ、親の存在や教育が必要なんではないのかなぁ。
経験値が少なくて間違えやすいから、正してあげる必要があるんじゃないかと。

だから、個人的には少年犯罪の加害者は、厳しく処罰されていいと思ってます。
大人の犯罪者もそうだけど、普段の生活とか前科の有無とか関係なしに、その事件に対して公正な審判をしてほしいと思う。
性犯罪者は、死刑でいいです。
裁判員制度、早く始まらないかな〜。
でもこれはこれで、偏りが問題になりそうだよね…。

あーでも結局わたしがこれだけ考えても、子供がどうしようもないバカだったら、取り越し苦労もいいとこだな。
別に自分の子供のことだけ考えてるわけではないけれど。
犯罪以外では、子供に特にこういうことをやってほしくない、とかってのは思いつかないんだけど(保守的なだいちゃんはピアスを開けてほしくないらしい。くだんねー)、強いて言えばー、
娘だったらバカな男に騙されるのだけはやめてほしい。
でも盛りのついてるときに言っても聞く耳持てないだろうな、痛い思いして学習するしかないか。取り返しがつかないことにならないよう祈るばかり。
息子だったら、娘さんたちを泣かすことはしないでほしい。ほんとお願い。

事件を追っているなか、こんな事件に心を痛めているわたしです。
昭和33年(1958).12.27
富山県上市町で、無職(19)が9.15に無職少女(17)を殴ってレイプし、言いふらすと脅して繰り返しレイプしてこの日に逮捕された。双方の親などが話し合って3月に結婚する条件で29日に告訴を取り下げた。

ひどい…娘さんの人権などないね。その後の人生がどんなものだったか、想像ができてしまう。

Comments [0]

Comment form
cookie

Trackbacks [0]

Trackback URI


ブログランキング
ご興味をお持ちの方、どれでもポチリとどうぞ
にほんブログ村 マタニティーブログへ
にほんブログ村 マタニティーブログ 妊娠・出産へ にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
初めての方はコチラ
Entries
Catégories
Recommend
  • コロ助の科学質問箱
    • コロ助の科学質問箱
    • 内山 安二 学研
    • ひみつシリーズの一番人気!これがきっかけで理系に進んだ子供は数知れず(わたしは違うが)。お子様が産まれたら、ぜひ一家に一冊☆
  • 子どもと昔話 (第25号(2005秋号))
    • 子どもと昔話 (第25号(2005秋号))
    • 小沢昔ばなし研究所 小沢昔ばなし研究所
    • お子が大きくなったら一緒に読みたいの(それまでは開くことすらできないの)
  • リズムであそぼう
    • リズムであそぼう
    • 原田郁子 MOOSE HILL
      RT
      VICKY
      moose hill
      イトケン
      エマーソン北村
      キュービズモ・グラフィコ
      コーネリアス
      ハナレグミ
      マルコス・スザーノ インディペンデントレーベル
    • お子が産まれたら一緒に聴きたいの
Montyly archives
Recent comments
Recent trackbacks
Links
Feed

全文検索