jeudi 17 février 2005 18:02
もうそろそろ
catégorie: 万年思春期的思想

梅も咲いてますかね?
これは去年の府中・郷土の森の梅ですが。
デイケアの仲良しのおじさんと園内の梅を撮りまくったなー。
あのおじさん元気かしら?
ご無沙汰しております。
放置もいいところです。
このサイトはシャイな友人たちがこっそり見ておるのはわかっているのですが、
(最近はアクセス解析もだいちゃんが作ってくれたので、何でもわかるのよ)
遠い異国の方からもアクセスがあり、ついにメールが届いてしまった次第です。
日本語ばっかでわからーんとか言われたので、
これからもガンガン日本語オンリーでいきたいと思います(意地悪)。
---
ある人が言った。
「谷口さん、何もこの病気になったからって恥じることはないんだよ。
こんな世の中で何も疑問に感じないほうがおかしいんだから。
まともでいられるほうがおかしいんだ」
わたしは、残念だけれども、社会から外れてしまった彼の、
負け惜しみにしか聞こえなかった。
わたしたちは、普通の人が感じないことを感じる。
疑問に思わないことを疑う。
ときには見えないものまでを見る。
それを繊細さゆえと呼ぶのなら。
どんなにか鈍いほうがよかった。
狂人と天才は紙一重と言うが、
天才が必ずしも狂人ではないのと同様に、
狂人は必ずしも天才ではない。
わたしたちはわたしたちが感じるこのことを、
誰しもがかたちにできるわけではない。
社会を揺るがす声にもならなければ、
きれいに額縁に飾っておけるのも稀だ。
大半はその身体の中にくすぶったまま、一生を終える。
もしくは、本当に残念で悲しくてならないけど、
犯罪というかたちで世に出る。
わたしは、いまだに信じられなくなるときがある。
本当に自分はそんな大そうな病気なのかと。
ただストレスにちょっと弱くて、夢見がちな甘ったれなんじゃないかと。
だけど、わたしが今後生きていくうえで必要な”物”たちが、
わたしがこのわたしであることを証明している。
それに気づくたびに感じる敗北感と孤独感。
前述の彼は、元はクリエイターだった。
けれど今は離れたところにいる。もう50代も半ばだ。
だけど、悲しいから言い訳はしないで。
あなたの言っていることもまんざら間違いでもないかもしれない。
でも、もう一度、あなたの中のものを表現できるように頑張って。
だけど悲しいかな、努力は努力できる才能がある人にしかできないことを、
わたしは知っている。
だからこそ、わたしは今ここで駄文を書き連ねている。
---
昨日、明け方に地震ありましたよね!?
すんごく怖かったのです!
思わずだいちゃんにしがみつきました。
だってさー、絶対来るんだよ? 大地震。
もしかしたら今回のじゃー!?
って、毎回思うわけですわ。
あーこういうのすごく嫌ね。
わたし、誰かがあそこに隠れてるのわかってても、
素で驚くタイプだから。
心臓に悪いわー。
Commentaires