samedi 15 janvier 2005 17:17
tremblement de terre
catégorie: 万年思春期的思想

れんこんと豚バラ肉の煮もの。
見た目が悪いとか言うな。野菜の切り方がなってないとか基本的なこと言うな。
あくまでも独学なので、野菜のかっくいい切り方とかわからんのだよ。
(本日、ごぼうのささがきのみ習得。これからいろいろ覚えるさ、へん!)
でも味は保証します。だいちゃんにも大好評でした。
最近、煮物を作るのが好き。
結婚当初は炒め物と焼き物くらいしかできなかったが、
年々主婦としてレベルアップを続けるわたくし、
今では揚げ物、煮物、なんでもござれだ(そういえば蒸し物はやったことないな……)。
中でも煮物は煮込む過程が楽しいし、まー楽だし、
大量に作れば季節的なこともあいまって2,3日はもつという
経済的にお得な面もありながら、
鍋物と並んで効率よく野菜、しかも根菜類を摂れる、
という健康面でも大役立ちの頼もしい料理だ。
しかし実はわたしは煮物が好きではなかった。
いろんなところで公言しているが、
母の作った煮物が大嫌いだったのだ。肉じゃがだって食べません。
母は東北の出身なので、まずお味噌汁からして非常に味が濃かった。
茨城という北関東出身の父にさえ、味が濃すぎるといつも指摘されていた。
ちなみにだいちゃんは茨城を南東北とカテゴライズしている。
茨城県民に刺されるぞ。
そんな母の煮物にいたっては、大根の色が真っ茶色になるくらい
しょうゆを入れて煮込んでいた。
彼女の中では、「しょうゆ=しょっぱい=おいしい」
という図式があるのである。
わたしは過去に仙台出身の人と仕事をしていたことがあるが、
彼も何にでもしょうゆをかけ、「しょっぱい=おいしい」のだと豪語していた。
しょうゆでじっくり煮込むのは寒い地方で冬を乗り切るための
生活の知恵なのかもしれないが、
生まれてこのかた東京っ子のわたしは、
この真っ茶色の煮物が大嫌いだった。
そして味の濃さもさることながら、大鍋でじっくりじっくり煮込む様子が
なんだか魔女が毒入りスープを作っているのを連想させて、
煮物には「母親の愛情」ならぬ「呪い」がかかっているのだと、
どうしても口に運ぶのさえためらわれた。
よく「何で煮物が嫌いなの?」と聞かれて、
「呪いがかかってそうだから」と答えると、
そんな理由で食べ物を嫌いになることがあるなんて、
と驚かれたり笑われたりしたもんである。
ちなみにその他にも理不尽な理由で嫌いなのはうどんである。
うどんは、なんか風邪っぽい(風邪をひくとうどんを食べさせられていた経験より)。
でも、煮物を煮込んでいるときの匂いは好きだった。
子供の頃、めいっぱい遊んで夕方家に帰ってくると、
玄関のドアを開ける前から、近所一帯に甘いいい匂いがしている。
あ、この匂いはうちだな、お母さんがごはんを作ってるんだな、
と思いながら、今日はお母さんにこの話をしよう、今日いちにちにあった出来事を、
それを頭の中で反復しながらドアを開けたものだった。
煮物の匂いは、いつも夕暮れ時の風景とセットだった。
そして月日は流れ、わたしは自分で煮物を作るようになった。
自分で作ると味の調整ができるし、これはまったく幸福な偶然なのだと思うけど、
だいちゃんは関西人で基本的に薄味好き。
わたしたちの味の嗜好はマッチしてるのだ。
それに自分で作ったものには呪いだなんてとうてい考えないもので、
さらに不思議なことに、もともと好きではなかった根菜類も
自分で調理したんだと思うとおいしくいただける。
今ではわたしがだいちゃんの帰宅を待って、
キッチンの小さな窓から通路を通ってエレベーターの前まで
甘いいい匂いを漂わせている。
お腹をすかせて帰ってくるだいちゃんは
早足でドアの前まで来てチャイムを鳴らす。
そして、おかえりなさい。
それでもやっぱり、その日いちにちにあった出来事を
息せき切って話すのはわたし。
聞き手がお母さんからだいちゃんに変わっただけのこと。
でも、わたしたちは一緒に煮物を食べることができる。
その違いの大きさ。
最近、とても怖いことがある。
幻聴でも幻視でも妄想でもない、これは事実。
それは地震だ。
スマトラ沖の地震。
新潟中越の地震。
そして10年前の、阪神淡路大震災――。
わたしはここ数年の記憶があまりなく、
だいちゃんと出会った頃や付き合い始めた頃のことは
あまり覚えていない。
でも10年前の1月17日、自分がどこにいたかをはっきり覚えている。
あの日、大学1年生だったわたし、その日は大学の創立記念日で
ある人と東京タワーにいた。
展望台から、遠く、遠くを見ていた。
新聞も読まずに出かけたおかげで、
その遠い先で何が起こっていたかも知らず――。
未来の夫が、突然の天災に飛び起きたことも知らず。
その頃のわたしには関西は遠い遠い見知らぬ地方で、
そんな大変な出来事もちっともリアリティがなかった。
テレビの向こうの、他人事。
だけど数年後に出会い結婚した人は、確かにその事実に巻き込まれ、
被災した人だった。
ものすごく後悔の念がある。
わたしはあの日何をしていたのだろうと。
テレビを観ても、大して胸を痛めることもなかったことを。
だいちゃんは東京に来てから、東京にも近いうち
絶対地震が来る、と何度も何度も言っている。
それは社会的にも言われてることだったけど、
それでもわたしには現実味がなかった。
でもまた国内で大規模の地震があり、それに息つくひまもなく
スマトラで地震が起こった。
アジアを襲う地震、そして現在世界でもっとも地震の危険度の高い都市は
東京と横浜という研究結果が出た。
テレビはとうとう、今期のドラマで東京を襲う地震を描き始めた。
そこでやっとわたしは、本当に怖いのは頭の中にあるものではなくて、
現実に起こりうる地震なのだと思った。
東京の郊外の田舎町で育ったわたしは、
天災というものに遭ったことがない。
テレビを観ても想像すらできなかったことが、
まさに現実として、事実として自分に足音を忍ばせて近寄ってくる不安。
もし地震が起こったとき、わたしは家に一人、
だいちゃんは会社だったらどうしよう――。
煮物をコトコトじっくり煮込みながらだいちゃんの帰りを待つ、
そんな平凡な風景が切り取られてしまう日が、
もしかしたら近いうちに来るかもしれない。
でも、もし地震が起きても、おいしい煮物を煮込んで待ってるから、
その匂いを頼りに無事におうちに帰ってきてほしい。
だから、これがわたしが作った煮物の匂いだよ、って
覚えておいてね。
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