vendredi 31 octobre 2008 23:28
悲しい気持ちになること
catégorie: 雑念、あるいは、妄想 > 雑念
愚痴編で触れた育児中の女性ライターの愚痴トピのことだけど。
こういう問題は、嫌でも子あり・子なし、女・男の対比の問題になってしまうな。
そして経験者は折衷案を求めるものなのに、未経験者はいつも強硬に正論を振りかざすのだ。
ここで正論を振りかざしている独身の人は、自分がこの立場になったとき、どうするつもりなんだろう…。
特に男の人で、「子供のことを考えたらこの職種にしがみつかず、働きやすい職場に転職すべき」って、一見聞こえのいいことを言ってる人は、自分が親になったら子育ては妻に一切任せて、自分は今の仕事を続けようと思ってるんだろうか…自分が転職するなんてことを想像もしないから、こんなことを平気で言うんだろうな。
もちろん経済的な理由もあるだろうが、この仕事をやってる人の多くは、それだけじゃないはず。
あんたと同じく、プライド持ってやってんだと思うよ。だから、簡単に転職、なんてわけにいくわけないじゃん。
つーか、そんなん言うんだったら、おまえら男が妻が働かなくても問題ないくらい稼げよ。
でも、このトピを読んで、「わたしはもう仕事をしないんだろうな」って諦めが強くなった。
トマが産まれてから、まとまった仕事をこなしてない。それも、ちっとも仕事らしい仕事にならなかった。
今のわたしの年齢とスキル程度でブランクがあるのは、かなり痛い。
加えてこの社会状況と業界事情じゃ、とても復帰なんて無理だと思う…。
元々、妊娠前にも「この仕事を突き詰めたら、親の死に目にも会えない。会いに行ったら非難される」という状況に出くわし、すごく悩んだことがあった。
幸か不幸か、わたしにとって仕事は生活手段ではなかったので、
「精神面の充実のために、自分のやりたいことを突き詰めたい→突き詰めると精神面、ひいては生活に支障が出る」
というジレンマに気付き、とてもつらくなった。
だからその矢先に妊娠をしたのには、ホッとしたような、逃げ出したような気分にもなった。
わたしは一生、人の庇護の元で生きていかなければならないだろう。
だいちゃんが死んでも、公的援助を受けて生きていくだろう。
日常生活がまともにできるようになったところで、わたしには短時間のパートすらできない。
そりゃヤケにもなる。刹那的に生きるしかないと心に決めて、お笑い番組ばっか観てるわけだ。
悲しい。寂しい。これでわたしが「普通」だなんて、ちゃんちゃらおかしい。
こういう問題は、嫌でも子あり・子なし、女・男の対比の問題になってしまうな。
そして経験者は折衷案を求めるものなのに、未経験者はいつも強硬に正論を振りかざすのだ。
ここで正論を振りかざしている独身の人は、自分がこの立場になったとき、どうするつもりなんだろう…。
特に男の人で、「子供のことを考えたらこの職種にしがみつかず、働きやすい職場に転職すべき」って、一見聞こえのいいことを言ってる人は、自分が親になったら子育ては妻に一切任せて、自分は今の仕事を続けようと思ってるんだろうか…自分が転職するなんてことを想像もしないから、こんなことを平気で言うんだろうな。
もちろん経済的な理由もあるだろうが、この仕事をやってる人の多くは、それだけじゃないはず。
あんたと同じく、プライド持ってやってんだと思うよ。だから、簡単に転職、なんてわけにいくわけないじゃん。
つーか、そんなん言うんだったら、おまえら男が妻が働かなくても問題ないくらい稼げよ。
でも、このトピを読んで、「わたしはもう仕事をしないんだろうな」って諦めが強くなった。
トマが産まれてから、まとまった仕事をこなしてない。それも、ちっとも仕事らしい仕事にならなかった。
今のわたしの年齢とスキル程度でブランクがあるのは、かなり痛い。
加えてこの社会状況と業界事情じゃ、とても復帰なんて無理だと思う…。
元々、妊娠前にも「この仕事を突き詰めたら、親の死に目にも会えない。会いに行ったら非難される」という状況に出くわし、すごく悩んだことがあった。
幸か不幸か、わたしにとって仕事は生活手段ではなかったので、
「精神面の充実のために、自分のやりたいことを突き詰めたい→突き詰めると精神面、ひいては生活に支障が出る」
というジレンマに気付き、とてもつらくなった。
だからその矢先に妊娠をしたのには、ホッとしたような、逃げ出したような気分にもなった。
わたしは一生、人の庇護の元で生きていかなければならないだろう。
だいちゃんが死んでも、公的援助を受けて生きていくだろう。
日常生活がまともにできるようになったところで、わたしには短時間のパートすらできない。
そりゃヤケにもなる。刹那的に生きるしかないと心に決めて、お笑い番組ばっか観てるわけだ。
悲しい。寂しい。これでわたしが「普通」だなんて、ちゃんちゃらおかしい。
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もう一つ、考えさせられるたびに悲しくなってしまうこと。
わたしの主義信条は、人間らしく文化的であることに基づいている。
だから、避妊をしてほしい(感染予防も考えると、ピルだけではだめだよ)。
満足に子供も育てられないなら、作ってほしくない。性衝動を抑えるのは無理なので、やるなら避妊してほしい。
親になるのは簡単。育児も、物資を供給することくらいなら、手間はかかるけど誰にでもできるだろう。
でも、教育は難しい。衣食住すべて足りた上で、十分な教育を与えるのが、人間の親としての役目だと思ってる。
「そんな社会じゃ、誰も子供なんて生まなくなっちゃうよ」
そう言われた。
スーパー・リアリスト、だいすけに!
社会には、どうしても歯車になる人間が必要なのだ。
馬車馬のように単純作業をこなす人間が。
そういう人には、深く考えてもらっては困る。
なんとなく生まれ落ち、なんとなく大人になって馬車馬のように働き稼いで、簡単に子供をポコポコ作ってもらい、それなりに幸せを感じながら、実質は歯車のまま死んでいってほしい。
その子供たちは生まれたときから歯車予備軍、歯車の連鎖を代々続けていってもらった方が、社会のためなのだ。
ショックだった。
人間て! 人間て! もっと文化的であるべきじゃないの…?
でも、その通りだった。
歯車なくして、社会なんて成り立たない。どんなに同情したって、自分が歯車になるのは嫌なのが本音だ。
それに、そうやって馬車馬のように働く人間がいるおかげで、日本はどんなに貧乏でも、まず飢え死になんてすることない。
そのおかげで、たとえ歯車家庭に生まれた子供でも、能力さえあれば歯車からの脱却だって可能なのだ。それをしないのは、本人が怠慢なだけだ。
その通りだけど…。
これに気付いた人間は、できる限り歯車でいないように、努力することだと。動かす方になることだと、言われた。
そのため、我が家はお金をかけることで、歯車家庭を足切りしている地域を選び、まず住環境から整えようとしている。
選民思想!
そう言ってやりたい。
でも、それでもやっぱり、わたしの言ってることは理想でしかない…。
わたしにはしっかりとした自分があって、主義信条があって、それに沿って生きてきたんだけれども、30代も半ばに近づき、親になってみると、自信がなくなってきた。
論理的に正しいことが、社会的に正しいとは限らないことを、嫌と言うほど知ったからだ。
わたしは、人間だから文化的でありたい。でも、いかに本能で生きてる人が多く、それが肯定される世の中なんだろうと思う。
(前回の最後の文)
本能で生きてる人ってのは、論理を知る機会がなかった人だ。
肯定してるんじゃなく、そっちの方が都合がいいから、放置されてるだけだ。
否定されることはないし、周りがそういう人間ばかりだったら不都合を感じる機会もないので、何も疑問に思わない。
そのまま連鎖が続くだけ。
知っている人は、よりよい生活ができる。
知らない人は、何を知らないかも知らないまま、それなりに幸せに生活ができる。
それが、日本という国だ。
格差はある。でも、相対的には幸せな人が多い国でもある。
わたしとだいちゃんは歯車家庭の出身だけれども、自分たちの力で、少しそこから抜け出せた。
だいちゃんは「そういうもの」として、さらに高みを目指している。
わたしは…
それでもわたしは、こんなことを悲しく感じるようでは、この国には向いてないんだと思う…。
わたしは、どうしても妄想の中でしか生きられないのかな…。
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