lundi 01 novembre 2004 17:47
ピエロ
catégorie: 音楽/映画/本/漫画/ゲーム > 映画
ピエロは、なんだか哀しい。
滑稽な姿が、ひどく可笑しくて、ただただ物悲しい。
この映画自体も、ときどき滑稽で、そしてひたすら哀しいピエロそのもののようだった。
まだ小学校にも上がる前だったかもしれない、
地元にサーカスがやってきたことがあった。
小さなサーカス団が、名もない郊外の街を巡業していた時代。
今ではあまり見られなくなった風景。
両親に連れられて観に行き、地元の人間でごった返す客席の中の小さなわたしに、
そのサーカス団のスターであっただろうピエロは、
「こっちへおいで」と、微笑みながら手を差し伸べた。
その当時のわたしは、あんな面妖な顔の人間を見たことがなかった。
まだ外国人すら見たこともなかったかもしれない頃。
ただもう、あの真っ白にいろんな色の混ざった顔が恐ろしくて、
わたしは大声を上げて泣いた。
ピエロは、今思えば、少し苦笑いのような顔をしたのだろうけど、
その顔がさらに幼少のわたしには、
まるで取って食われるんじゃないかと思われて、
よりいっそう大きな声を、腹の底から押し上げて泣いた。
その後の記憶はない。
それからわたしは、ピエロが怖くなった。
ちなみに、ドナルド・マクドナルドも怖かった。
でもいつからだろう、ピエロが哀しく見えるようになったのは。
ピエロは、人を笑わせるのが仕事だ。
人を笑わせるというのには、絶大な才能、能力がいる。
だから、本来なら、笑ってみせるのが盛大な拍手の代わりとなるだろう。
腹の底から押し上げるべきなのは涙ではなく、笑い声だ。
だけど。
なぜだか、どうしてだか、哀しいのだ。
それはおしゃべりなときの自分が重なってしまうから?
違う、そんなばかばかしいことじゃない。
ただ、彼の存在は、わたしの中では物悲しいものなのだ。
ただ、それだけだ。
話が変わって、この映画はドイツ占領下のフランスを描いたものだ。
わたしは単純な人間なので、
「セブンイヤーズ・イン・チベット」を観たら中国が憎くなったし、
今回はドイツが憎くなった。
きっと南京大虐殺の映画を観たら、日本が憎くなるだろう。
わたしは戦争を知らない。
わたしの親の世代も知らない。
うちは核家族だったので、祖父や祖母から戦争の話を聞いたこともない。
あるのは単純に暗記した知識。
戦争を知らないということは、とてもラッキーなことかもしれない。
だけど、なんだか自分が不完全な人間のような気にもなる。
もしわたしが戦争のある時代に生まれていたら、
わたしは戦争について、どんなことを書いただろう。
…あら。
秋も深まってきて、少し感傷的になりすぎたみたい。
秋の夜に書いた文章は、日の光の下で読み返さないといけないって言うけど、
わたしが書く文章はいつだってその必要がありそう。
ひとりよがりはもうたくさん。
Commentaires
「ピエロの格好をした男が、次々に子供を殺していってしまう…」!!
こわーっ。またピエロの見方が変わりそう…。