mercredi 27 août 2008 15:47
溺愛してるのに
catégorie: 人を育てるということ > 観察記録
うれしいな
いま、トマがぴったり寄り添って、「アーン」と言いながら1歳からのかっぱえびせんを食べさせてくれてる
うふふのふ
3人でお風呂に入って、先にだいちゃんとトマが出てくとき、トマが体拭いた後必ず戻ってきて、バスタブにいるわたしにちゅーしてくれる
やった!
トマに「気をつけ!」を教え込んだら、その場で習得した。教えればできるもんだ(あとは「前へならえ!(先頭の)」「なおれ!」「休め!」だ、がんばろう)
ウケる
トマに「グー」を教えたら、両手で握り拳を作り肘を上げてボディビルのようなポーズを取るようになった。なぜ強そうにやるのか、意味がわからない。顔も作ってるし(眉間にシワ寄せて唇を突き出す。強そうな顔?)逆に、「パー」はお花が咲くような感じで、かわいらしい。「チョキ」は練習中。
感心
動画も評判のようだが、おむつ換えのとき、自分で局部を拭くようになった。教えたわけじゃない、ある日から突然やり出したのだ。ちゃんと見てるんだな〜。食後は、手と口も拭きます(ただしこっちは、機嫌がいいときのみ)
この子ってば
定番となった食前食後の挨拶、「(手を合わせて)いただきます/ごちそうさまでした、ニャン(両手のグーを頭に乗せて、萌ポーズ)」。夏休みに関西で大ウケしたからか、確信的にやるようになった。でもめんどくさいときは、「ごち…ニャン」くらい、素早くやってズルする。
負けた
まだ言葉を話せないトマに、どうやって「ごめんなさい」を教えればいいのか試行錯誤していたところ、これまたある日突然、叱られて泣きながら、わたしの頭をいい子いい子して撫でると、ちゅーをしたトマ。う、う〜ん、じゃーもうこれでいっか。気持ちは伝わったし、かわいいし。
マーブル
家の中をぐるぐる移動しながら、あちこちでわたしに向かって手を振るトマ。そのたびに振り返すわたし。ほんとうにいつのまにか、バイバイが上手になった。うれしいんだけど、やっぱりもう寂しいんだよ、すいたんは。
いま、トマがぴったり寄り添って、「アーン」と言いながら1歳からのかっぱえびせんを食べさせてくれてる
うふふのふ
3人でお風呂に入って、先にだいちゃんとトマが出てくとき、トマが体拭いた後必ず戻ってきて、バスタブにいるわたしにちゅーしてくれる
やった!
トマに「気をつけ!」を教え込んだら、その場で習得した。教えればできるもんだ(あとは「前へならえ!(先頭の)」「なおれ!」「休め!」だ、がんばろう)
ウケる
トマに「グー」を教えたら、両手で握り拳を作り肘を上げてボディビルのようなポーズを取るようになった。なぜ強そうにやるのか、意味がわからない。顔も作ってるし(眉間にシワ寄せて唇を突き出す。強そうな顔?)逆に、「パー」はお花が咲くような感じで、かわいらしい。「チョキ」は練習中。
感心
動画も評判のようだが、おむつ換えのとき、自分で局部を拭くようになった。教えたわけじゃない、ある日から突然やり出したのだ。ちゃんと見てるんだな〜。食後は、手と口も拭きます(ただしこっちは、機嫌がいいときのみ)
この子ってば
定番となった食前食後の挨拶、「(手を合わせて)いただきます/ごちそうさまでした、ニャン(両手のグーを頭に乗せて、萌ポーズ)」。夏休みに関西で大ウケしたからか、確信的にやるようになった。でもめんどくさいときは、「ごち…ニャン」くらい、素早くやってズルする。
負けた
まだ言葉を話せないトマに、どうやって「ごめんなさい」を教えればいいのか試行錯誤していたところ、これまたある日突然、叱られて泣きながら、わたしの頭をいい子いい子して撫でると、ちゅーをしたトマ。う、う〜ん、じゃーもうこれでいっか。気持ちは伝わったし、かわいいし。
マーブル
家の中をぐるぐる移動しながら、あちこちでわたしに向かって手を振るトマ。そのたびに振り返すわたし。ほんとうにいつのまにか、バイバイが上手になった。うれしいんだけど、やっぱりもう寂しいんだよ、すいたんは。
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ほら、ちゃんと溺愛してるでしょ〜? してるよね? してるよね?
でもやっぱり、他のママさんたちと比べると、わたしは育児にドライみたいだ…。
一日9時間、保育園に預けてるけど、ぜんぜん申し訳ないと思わないし、寂しいとも会いたいとも心配とも思わない。
むしろ、「あーあ、迎えに行くのめんどいなー」と思うくらい。もちろん、迎えに行って駆けてくるトマの顔を見ると、かわいいなーともうれしいなーとも思うけど。
家でギャン泣きしてても平気で放置するし、放り投げたり引きずったりとか、わりと雑な扱いもするし(もちろん、常識の範囲内でだけど)、抱っこしててどこかにぶつけても、「あーゴメン」くらいで済ませちゃうし。
そういうの、自分の中では普通だったんだけど、一般的に見ると実はそうじゃないみたいだと知って、愕然。
そうすか…。
でもね、保育園に関しては、ほんとにこれでいいと思うんだ。
「1歳くらいで保育園に預けるのはかわいそう」って思うのが、わからん。
ましてや、わたしらみたいな紋所を持ってるママさんたちが預けることを、本人が「かわいそう」とか「申し訳ない」とか思う必要は、全然ないと思うんだけど。
療養目的ったって、実際は家事と事務作業で9時間なんてあっとゆーまに経っちゃうし。
それに、わたしみたいに社交的でない親の子は、強制的に集団に入れられるくらいの方が、いいんじゃないかなーと思うのだ。今くらいの月齢では。
わたしはトマを自分の子供というより、一人の人間だと思ってるから、母と子の2人の世界よりも、彼自身の世界もあった方がいい、という思いが強いみたい。
自分が幼稚園しか行かなかったから、保育園のことよく知らなかったけど、今のところなかなか悪くないよ。
わたしは一人になれて寝ることができる(寝るのが一番の療養だ。と言っても、なかなか時間取れないんだけど)、トマはめいっぱい遊べてお友だちができておいしい給食も食べられる、働くママさん同士だから付き合いもない、トイレトレーニングもしてもらえる(布おむつの洗濯は結構大変だけど)、願ったり叶ったりだよ。
日本は、就園就学前までは親の手元で育てるっていう文化だったから、そうじゃないことをすると「申し訳ない」気持ちになっちゃう人がいるんだろうな。
でもそんなの、大家族だったからできた話で、もはや現実的じゃないと思う。一般的な核家族では、母親が子供を連れてどこへでも行かなきゃいけない。物理的に無理なことは多々ある。
今後、仕事のあるなしにかかわらず、子供を外に預けることが一般的になっていけば、不必要な罪悪感は生まれないし、母親の社会復帰もしやすくなるんではないのかなー?
それでも、子供といることを選びたい人は、そうすればいいだけのことだと思うし(でもそうなると、そこんちの子だけ、幼稚園や小学校で浮く可能性があるのかな?)。
トマは保育園に行くの楽しそうだし、わたしも「今日はどんなことをやったのかなー?」って、連絡ノートを見るのが楽しみ。
わたしは、お互いが独立した時間や空間を持てることに満足してるんだけど、そういうのがドライだと思われることを最近になって知って、愕然としてしまった。
もっとベタベタしてないと、冷たい母親だと思われてしまうんだろうか…。
むしろ、愛情(と、信頼)があるから、安心して送り出せるし、送り出した先でいろんなことを経験してきてほしいと思うし、帰ってきたときは見送ったとき以上の愛情を持って、迎え入れることができると思うのに。
トマに赤ちゃんぽさが抜け、どんどん成長していくことを、うれしく頼もしく思うのと同時に、とても寂しく思う。
でも、トマと一緒にいないことを、寂しいとは思わない。
寂しさ以上に、離れた先で彼がどんなことを経験するのか、そのワクワクと喜びの方が、大きいもの。

(靴とかスリッパとか、履き物が好きなひと)
とか言って、それもトマが男の子だからだったりして。
女の子だったら、わたしも「手元に置いときた〜い☆」なんて、前時代的な発想が出てきたりするのかも。
それはわからんな。
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