mercredi 27 août 2008 17:39
悲しいできごと
catégorie: ゾラのこと


(mixi見られない人のために、画像拝借してきた)
痩せっぽちだけど、まだそんなに頭部の変形もないし、かわいい子だった。
どんどん衰弱していく様子は、文字からでも痛々しさが伝わってきたなぁ。本当に悲しくて、泣いてしまった。
亡くなった動物が渡るのは、三途の川じゃなくて、虹の橋なんだね。普段はそういうの、ケとか思っちゃうけど、今日ばかりは「今頃、楽しく渡れてるといいな」と思う。
同じロシアンコミュでは、11階から落ちて失踪したのに、奇跡的に無傷でみつかった子もいた。
この子も腎臓結石があって、普通のエサを食べると死んじゃうから、うっかり保護されて何か食べさせられてたらどうしよう、と心配していた。
本当にみつかってよかった。
癒しと愛と感動、そして笑いも届けてくれるロシアンブルーコミュは、わたしが一番好きなコミュニティだ。
ロシアンは他に、尿道結石にもなりやすい猫種みたいだね。

うちのラ子嬢は、破格の3万円で譲られてきた子で、血統書もないけど、本当に健康でよかったと思う。耳にイボとかあるし、デベソだったけど(避妊手術のとき一緒に取った)。
ラちゃんが窓から外界をじっと見ている姿を見ると、つい同情して、外に出してやりたい気持ちにもなる。
でも、絶対出さない。
これって、飼い殺しのように見えるのかな?
でも違うね、今や猫は完全室内飼いが鉄則なんだ。わたしもラ子を譲られるとき、避妊手術と一緒にそれを約束させられた。
残念ながら、この地球上の現時点での覇者は、人間なのが現実だ。どこへ行っても、人間の手が入ってる。そんな世界に、小動物たちが本能のままに生きていける場所は、もはやない。
ましてや、ロシアンのような人間の文化の産物である猫は(ロシアンは自然発生種らしいが、一度絶滅の危機に瀕し、その後交配によって復活したそうだ)、家猫として生きる方が幸福なのだと思う。
外に行けば、野良猫との喧嘩、カラスや人や車からの襲撃、病気、妊娠、そしてまた産まれた子猫たちには行き場ももらい手もそうそうなく、襲われて死ぬか病気で死ぬか保健所で殺処分に遭うか…。
どれも、不幸なものとしか思えない。
だから、心を鬼にして、ラ子を深窓の令嬢として育てているのだ。
だけど、ロシアンに限らず、やはり猫は外に出たがる。
自由に家と外を行き来させてあげられれば、どんなにいいかと思う。
でも、単に野良猫との喧嘩と言っても、負った傷からどんな病気にかかるかわからない。
たとえそれが野良猫同士の喧嘩であっても、傷口からばい菌が入って病気になり死んでいくことは、わたしにはそれが自然なこととは、もう思えないよ。
人間が牛耳ってる地球上で、人間が介入できることがあるのに、動物が簡単に死んでいくことは、果たして自然なことなのか?
わたしの方がよっぽど理想を語ってるのは、わかってる。
「一定数は死ななければいけない」っていう、だいちゃんの言葉を思い出す(このことについては、また後日)。
でもだから、せめて自分の家の子だけでも、その生を尊重して共に生きていきたい、それしかできない。
だけど同時に、これがすごく選民的な思想なんじゃないかとも思う。
苦しいところだ。動物と共存することは、思っていたよりも、簡単じゃないみたいだ。

(その頃のスゾン。人の気も知らんで、なんつー寝相だ)
Commentaires
「あぶないから、ダメ」
は、どこまで許されるんだろう、と。
猫と人間の子とでは細かいところまた違ってくるんだろうけど。
もし上手くまとまったら、日記にでも書く予定です。
(なんか中途半端なコメントですみません。)
育児やお仕事復帰のことなんかで忙しいでしょうけど、もし書いてもらえるなら、喜んで読ませてもらいます!
てか、わたし、トマゾンラに関しては人間と犬猫を分け隔てなく接してるつもりだけど、これがトマが成長していったら、比重が変わってくんのかなー
と、今ふと思いました。