lundi 27 août 2007 15:23
この一週間【月・火・水】
catégorie: 泡の中の、ある日
書く暇がないんです。
日々思うことはあれだけあるのに、長文が書けなかったら頭の中に言葉が溜まって、大変なことになるっていうのに!
でもわたしは、元気です。
あまり健康ではないようなのですが、それでも元気です(健康ではなさそうな理由は水曜日以降の話で)。
日々思うことはあれだけあるのに、長文が書けなかったら頭の中に言葉が溜まって、大変なことになるっていうのに!
でもわたしは、元気です。
あまり健康ではないようなのですが、それでも元気です(健康ではなさそうな理由は水曜日以降の話で)。
【月曜日:朝青龍問題】
まだやってる。
病名が一転二転したことで、いかに精神科系の病気の診断名がいいかげんなものか、世間の皆様に周知されたことと思う。
ただでさえイメージよくないのに、さらにイメージダウンだよ。
常々思ってたんだけど、これを機に他覚症状のないものは、高尚な病名をつけるのやめないか?
診断書とかでどうしてもカテゴライズしなきゃいけないときは、しかたないから「やる気出ない病」とかさ。
個人個人の辛さは絶対評価なので、比べられるものではないけれど、だからってそれに安堵して(あるいは、かさにきて)怠慢な人が多すぎる。
むかつくんだよ!
迷惑なんだよ!
一緒にされたくないんだよ!
メンヘルとかメンヘラとかって仲間意識持つの、きもいんだよ!
で、そういう人らに限って、朝青龍に言われてることがまるで自分が言われてるような気になって、余計に鬱になったり必死に援護したりしている。
ハーン、ご自分にも思い当たるフシがあるんじゃないかしら〜?
「病気のことがわかってない」って、わかってないのはオマエら(※不特定)だよ、時間いっぱいあるんだろうから他人のことはほっといて自分と向き合って、さっさと空気くらい読めるようになれ!
あーあ、いじわる言っちゃった。
でも、ほんとに常々むかついてたの。
朝青龍問題に関しての個人的な意見としては、不遜な態度だろうが、勝てる日本人がいないんだからしゃーないと思ってます。
特に年配の方は「国技をバカにしてる、あんな横綱いらない、モンゴルに帰れ」とか言うけど、その国技で外人に勝てないのはどこの国民なんだよ、と。勝負の世界なんだから、悔しかったら朝青龍に勝てる力士を輩出すればいい。
ただ、心技体すべてが備わってこそ横綱だという意味では、朝青龍はふさわしくないのかもなぁとは思います。
心がね、心っつうか性根がね、横綱やってくほど強くないのかなーと思って。
でも、朝青龍なら横綱にこだわる必要もなさそうだし、別にいんじゃねーの?
ってとこ。
【火曜日:トマの歌】
トマをあやすのに疲れ果てていたところ、テレビから「涙そうそう」が流れてきたので、ヤケクソでトマの体をリズムに乗せて揺らしながら熱唱してみた。
すると楽しかったのか、トマまで一緒にワンコーラスきっちり、「あ゛〜〜〜あ゛〜〜〜」と、わたしの美声をかき消すほどのばかでかいダミ声で歌うの!
そりゃーもう面白くて、途中何度も吹き出して歌えなくなりました。
お歌が楽しいお年頃になったのね〜。それにしても、ひでー声…プププ。しかもでっかーい口開けちゃって、満面の笑みでどんどん顔近づいてくるし、あげくヨダレたらーだし、超ウケたー。
最近ようやく、トマのことがかわいく思えてきた。
今までは生かすのに必死だったけど、やっと人間として向き合えるようになった感じ。うん、まぁかわいいなぁ、好きだなぁ、って。
もうすぐ生後半年、どこの家でもこのあたりが本当のスタートなのかも。
【水曜日:強くなりたい】
「だってテレビ観れるんでしょ? すごいよね」
フュミ澤先生に言われた。自分でもすごいと思う。
今、毎日テレビ観てます。一日の大半、観てます。だって授乳の間って他に何もできないから、テレビ観るくらいしかないんだもん。
でもドラマにハマることはできません、なぜなら集中して観れるわけではないから。
青山の美容クリニックには、中国人女子たちがいっぱい。
夏ですねー、観光がてらメディカルエステか、目端が利くなぁ。
一方わたしはといえば、点滴を抜いたら血液逆噴射。
はい、貧血です。トマ産んで治ったと思ってたら、しっかり復活してました。レバー週3食えって言われました。食えません、むしろひとかけらも食えません(レバー嫌い)。
はぁ。強くなりたい。
だいちゃんに甘えていたいけど、その方が楽だけど、このままじゃ何もできないままなんだ。
自分が強くいなければ、他人がどんなに支えてくれたって、何も変わらないままなんだ。
だけど、わたしの周りの人はみんな過保護で、すぐに心配してくれちゃう。すぐに先回りしてやってくれちゃう。すぐに「無理しなくていいよ」って言ってくれちゃう。
だから、わたしは最近だいちゃんによくこう言うのだ。「わたしがやる。自分でできなくちゃ、意味がない」。
だって、いつもいつまでも、だいちゃんと一緒なわけじゃないんだから。一人でやらなくちゃいけないことは、これからもたくさん出てくるんだから。
自分でやれることは、だいちゃんの力を借りずに、できるだけ自分でやりたいんだよ。
ま、やってみたところで結局、できないことも多いんだけどさ…なんで周りの人が過保護になるのか、ちょっと考えてみたんだけど、やっぱりわたしが頼りないからなのかも(だいちゃんは、「すいたんは頑張りすぎちゃう人だって、みんな知ってるからだよ」と言っていたけれども。ほんとかな)
そう考えながら帰宅してブログを見ると、2年前の誕生日のエントリーにコメントをいただいていた。本人すら、何を書いたか忘れていたのに。
コメントを拝見させてもらい、あーわたし、最近だめだったなぁと思った。
全然、このときみたいに前向きじゃない。とにかくこの大きくなった体のせいで自信をごっそり失ってしまって、おかげで生来のバックファイヤー型思考がハバをきかせてきて、夜になると死にたくなってシクシクしたりしちゃってさ。
だめだー。わたし、全然だめだー。
コメントの内容は、とてもうれしいものだった。
そういえば今までにも、こうやって未知の人にほんの小さいながらも、感動を与えてあげられたわたしじゃないか。
パニック障害の人。統合失調症患者のご家族の方。90年代の音楽を知らない世代の人。ギャルのお嬢さんたち。先輩ママさん。後輩妊婦さん。
誰かの見本になれるわけではないし、なろうだなんておこがましいことも到底思えないけれども、自分が強く自分でいることで、そこから感動を受け取ってくれる人たちがいる。
それは、きっととても喜ばしいことだ。
だから、やっぱりだめなわたしはだめだ。
強くいる。あくまでも自分のために。
それが他の人の感動につながったら、それはそれでありがたく受け入れよう。
コメントいただき、気持ちを立ち返らせていただいて、こちらこそありがとうございました。
ちなみに、今読み返しても我ながらまんざらでもないことを言ってるかもーと思うので、30歳を前にして迷いのあるお嬢さんがいらしたら、一度読んでみるといいかもしれないです。
いやーそれにしても、家が片付いてるっていいですね。
こうじゃなきゃ駄文なんて書けないよ。
つづく
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