mercredi 08 août 2007 23:28
コンプレックスはタイムマシン
catégorie: 万年思春期的思想
★
やっぱね、母乳出さないと体型は戻らないね。
それは痛感した。だって肥満外来行ってもダイエット外来行っても、何をやってもダメなんだもん。
後からやっぱり母乳育児がしたくて、桶谷式も母乳外来も行ったけど、やっぱり薬飲んで止めた人はもう無理らしいです。
あのときの産婦人科医と助産師を恨むことにして、わたしはもう一度妊娠しないと、もはや痩せることはできないようです。
ほんとにむかつくぜ! この怒りが呪いの力に変わるように、お盆明けから運動に精を出したいです。
でもそのためには、運動ができるテンションに持ってかねば…それがまたタイヘン…。
★
これからの結婚式ラッシュは、結局恥をしのんで、また無難な格好になっちゃうんだろうな。
自分の佇まいを気にしすぎて、晴れ晴れとした気持ちで祝福できなかったらどうしよう。
とか言いつつ、ko-0×sae結婚式でも結局、すごくいいお式だったから、なんかいろいろどーでもよくなっちゃって、テンション上がりっぱなしだったけど。
そんなもんよね、人って。結婚式には、そういう作用がある。だから、他人の結婚式は好き。
もし別の人生があったら、わたしも盛大な結婚式を恥ずかしげもなくできるような、素直な人間になるのもいいかもしれない。あーでもやっぱ、無理。
<こういうことを言うとき、思い出す言葉がある。高校の修学旅行の出発当日、東京駅で、行きたくなくて仕方なかったわたしは、いつまでもウダウダと「行きたくない行きたくない」と言っていた。そんなわたしに、「楽しみにしてる人もいるんだから、そんなことばっか言うな!」と、叱咤した友人がいた。
おおお。正論。激しく正論。なぜ、わたしが行きたくないのか理由は聞かねども、正論。
彼女はそれ以来、いつもわたしを正論で叱咤した。そのたびわたしは頭をガツンとやられるような驚きがあり、まったく相容れないけども、激しく納得した。
相容れない意見でも尊重できるようになったのは、彼女のおかげかもしれない。
…とゆーわけで、わたしには絶対絶対、結婚式(=いわゆる披露宴のこと)はできないけども、やる人はとことん楽しんでやるべきだと思ってるのです。もちろん、こっちもそれを、心から祝福したい気持ちもあります。
同じように、わたしとだいちゃんは親類縁者の類いに力を借りようとは思わなかったけど、借りられる環境にいる人はそれを感謝して、大いに享受するべきだと思うのです。
けっして、わたしの個人的な意見は、他人の否定ではないのです。
ただ、それでもやっぱりわたしは、恵まれた環境に生まれて能無しになるよりは、今のけして平坦ではない人生の方が、なんちゅーか、愛着があります。
でもでも、やっぱり楽できるなら、した方がいいと思う。だって楽だし。>
★
あー。憂鬱。
どんなにバカにされたっていいです。
だって、きれいなものが好き。かわいいものが好き。
「かっこいいものはかっこいい、かっこ悪いものはかっこ悪い」と思っていたから、そうハッキリ公言したフリッパーズに興味を持ったし、後に松尾(スズキ)さんが「かっこ悪いことは、なんてかっこ悪いんだろう」を発表したとき、それは確信に変わったのだもの(が、いまや、どこにも収録されていない…世の中、間違ってる!)。
ちなみに、松尾さんはフリッパーズなんて聴いてなかった人。音楽あんまり聴いてなかったって言ってた。
<↑このあたりに関しては、ここに大変興味深い考察があります。もしかしたら、80年代の東京にいなかった人には、無縁のものなのかもしれないけど。でも、その時代に影響を受けた人たちが今の世の中の流れを作っているので、まったく関係ないわけでもないかもね)
わたしにとって、美は才能なのです。力なのです。
才能や力がないことを、言い訳をして逃げ出したくない。
わたしは頑張りたい。
だから、今、肉体的に醜いわたしは、かっこ悪い。
頑張れないわたしは、かっこ悪い。
かっこ悪いことは、わたしにとっては、罪なのだ。
そして、この大きな体は、中にいる小さなわたしと、ギャップがありすぎる。
わたしは、わたしに見合った体に戻りたい。
ちぐはぐな体はつらい。もう、うんざり。
やっぱね、母乳出さないと体型は戻らないね。
それは痛感した。だって肥満外来行ってもダイエット外来行っても、何をやってもダメなんだもん。
後からやっぱり母乳育児がしたくて、桶谷式も母乳外来も行ったけど、やっぱり薬飲んで止めた人はもう無理らしいです。
あのときの産婦人科医と助産師を恨むことにして、わたしはもう一度妊娠しないと、もはや痩せることはできないようです。
ほんとにむかつくぜ! この怒りが呪いの力に変わるように、お盆明けから運動に精を出したいです。
でもそのためには、運動ができるテンションに持ってかねば…それがまたタイヘン…。
★
これからの結婚式ラッシュは、結局恥をしのんで、また無難な格好になっちゃうんだろうな。
自分の佇まいを気にしすぎて、晴れ晴れとした気持ちで祝福できなかったらどうしよう。
とか言いつつ、ko-0×sae結婚式でも結局、すごくいいお式だったから、なんかいろいろどーでもよくなっちゃって、テンション上がりっぱなしだったけど。
そんなもんよね、人って。結婚式には、そういう作用がある。だから、他人の結婚式は好き。
もし別の人生があったら、わたしも盛大な結婚式を恥ずかしげもなくできるような、素直な人間になるのもいいかもしれない。あーでもやっぱ、無理。
<こういうことを言うとき、思い出す言葉がある。高校の修学旅行の出発当日、東京駅で、行きたくなくて仕方なかったわたしは、いつまでもウダウダと「行きたくない行きたくない」と言っていた。そんなわたしに、「楽しみにしてる人もいるんだから、そんなことばっか言うな!」と、叱咤した友人がいた。
おおお。正論。激しく正論。なぜ、わたしが行きたくないのか理由は聞かねども、正論。
彼女はそれ以来、いつもわたしを正論で叱咤した。そのたびわたしは頭をガツンとやられるような驚きがあり、まったく相容れないけども、激しく納得した。
相容れない意見でも尊重できるようになったのは、彼女のおかげかもしれない。
…とゆーわけで、わたしには絶対絶対、結婚式(=いわゆる披露宴のこと)はできないけども、やる人はとことん楽しんでやるべきだと思ってるのです。もちろん、こっちもそれを、心から祝福したい気持ちもあります。
同じように、わたしとだいちゃんは親類縁者の類いに力を借りようとは思わなかったけど、借りられる環境にいる人はそれを感謝して、大いに享受するべきだと思うのです。
けっして、わたしの個人的な意見は、他人の否定ではないのです。
ただ、それでもやっぱりわたしは、恵まれた環境に生まれて能無しになるよりは、今のけして平坦ではない人生の方が、なんちゅーか、愛着があります。
でもでも、やっぱり楽できるなら、した方がいいと思う。だって楽だし。>
★
あー。憂鬱。
どんなにバカにされたっていいです。
だって、きれいなものが好き。かわいいものが好き。
「かっこいいものはかっこいい、かっこ悪いものはかっこ悪い」と思っていたから、そうハッキリ公言したフリッパーズに興味を持ったし、後に松尾(スズキ)さんが「かっこ悪いことは、なんてかっこ悪いんだろう」を発表したとき、それは確信に変わったのだもの(が、いまや、どこにも収録されていない…世の中、間違ってる!)。
ちなみに、松尾さんはフリッパーズなんて聴いてなかった人。音楽あんまり聴いてなかったって言ってた。
<↑このあたりに関しては、ここに大変興味深い考察があります。もしかしたら、80年代の東京にいなかった人には、無縁のものなのかもしれないけど。でも、その時代に影響を受けた人たちが今の世の中の流れを作っているので、まったく関係ないわけでもないかもね)
わたしにとって、美は才能なのです。力なのです。
才能や力がないことを、言い訳をして逃げ出したくない。
わたしは頑張りたい。
だから、今、肉体的に醜いわたしは、かっこ悪い。
頑張れないわたしは、かっこ悪い。
かっこ悪いことは、わたしにとっては、罪なのだ。
そして、この大きな体は、中にいる小さなわたしと、ギャップがありすぎる。
わたしは、わたしに見合った体に戻りたい。
ちぐはぐな体はつらい。もう、うんざり。
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