dimanche 24 juillet 2005 13:34
宝物の正体は
catégorie: パリ、みつけた。J'AI RETROUVÉ DES TRÉSORS À PARIS!
ホテルそばのバス停からCarte Orangeを使ってOpéraまで。このCarte Orangeも2枚目。よく使ったなー。メトロと違って街並みが眺められるバスはmon mariのお気に入りでした。わたしはメトロも大好きだけどね。1番線などは新型車両が増えて自動ドアになってて寂しい。ボタン式もいいけどやっぱこう、「開ける」感のあるレバー式が好きです。停車しきる前に開くあたりもかっこいい。
OpéraからRoissybusで一気にCDGへ。パリがどんどん遠のいてゆく…などと昨日の感慨もどこ吹く風で、しっかり爆睡してました。そしてマレージア航空のカウンターがみつからず、エールフランスのムッシュに「terminal1だよ」と教えてもらう…ううん。バスの運転手さんが嘘をついたわけではないの、きっと。素で間違えただけなの。毎日空港まで運転してても素で間違えるの、それがフランス人なの、きっと!
早めに到着していたので問題なくterminal1に移動(なんだか不審物があったみたいでポリースに一時通行止めくらったけど)、チェックインも楽々済ませ、あえなく出国。来るときはあんなに機内では眠れなかったのに、帰りともなると読みかけの本を投げ出して気持ちよく寝てしまう。読書と睡眠を繰り返してるうちにあっという間にクアラルンプールへ。乗り継ぎ便まで5時間近く時間があるのでカフェに入って原稿をまとめる。アメリカのデンバー空港に次いで世界で2番目の大規模だというセバン空港は、早朝だからか人が少なく、冷房が効きすぎてとても寒い。震えながら乗り継ぎ便に乗り込むとまたまたあっという間に成田へ。食事を取り損ねそうになるほど、2人とも熟睡していました。
そんなわけで、今は自宅で原稿を書いています。
わたしは30歳を前にして万年思春期ライターと名乗るほど少女時代から成熟していない部分があり、特に小さな子供の頃から空想が大好きで、小学校の帰り道は友だちの話に曖昧な相づちを打ちながら一人、自分の頭の中に描く世界で遊んでいました。しかし少しずつ歳をとってゆくと愉快な空想はネガティブな妄想に変わることが多くなり、自分の頭の中でそれらを描いては自分で苦しんでしまう、というのがわたしの思春期でした。
20歳を過ぎ、25歳を過ぎ、徐々に身体は老いて他者との関わりもそれなりにこなすことができるようになっても、いまだに変わらない部分があります。映画「アメリ」の中でアメリは自分の最期の空想をブラウン管を通して観ます。そしてそれに涙します。わたしもいまだにまったく同じようなことをしていて、今回も行きの飛行機に乗る前に、「あんなにパリ旅行を楽しみにしていたのに、30歳を目前にして海の藻屑と消えてしまった」と後に語る人々の声を聞いたりしていました。これは重要な行事のある前には必ず妄想することで、今の家を買う前にも、結婚する前にも、婚約する前にも、頭の中にぽわんと浮かんだことでした。しっかりした人たちから見れば、なんてばからしいことだと思われるかもしれないですけどね。
けれども実際は何事もなく結婚し生活し、念願のパリにも元気いっぱいに到着、何ら事件や事故にも巻き込まれず、楽しい毎日が過ごせている。帰国便に乗っている頃、千葉を震源地とした大きな地震があったそうですが、わたしは空の上で怖い思いをすることもなく、帰りの足は少し乱れて帰宅できたのは日付が変わっていたけれど、自宅も特に問題なく、ましてやわたしは3kg近く丸々肥えて生還している。妄想だけはすごいけど、ほんとは人一倍悪運が強くて(留学から帰国直後にパリ市内でテロがあったことも)、体力ないけど体は健康で、幸せな人なんだと思う。
帰国した翌日は案の定時差ボケで、夜まで眠ってしまった。わたしたちは調整するため、一晩中起きていることにした。パリ生活を断ち切るようで、少し寂しかったけれども。
帰国して最初にとった食事で、mon mariは機内で読んだ科学の本の話をした。科学の世界はもう何も新しい発見がなく、行き詰まっているという。それは何の分野にも言えることだと思った。科学ほど高尚ではなくても、もっとわたしに身近なところで音楽や文学や芸術やファッション、漫画すらも。物を作る作業においてはいかに面白く、奇抜な発想で過去を塗り替えてゆくか。だけれども、それは単なる焼き直しや感傷的な原点懐古にすぎないものも多いように思う。世界のことを考えるにはわたしはちっぽけすぎるけれど、世界の隅っこの隅っこで文章を書き、音楽を作ろうとしている(現時点では脳内でのみ活動中。結局妄想から抜け出してないじゃんか!)わたしには、何となく世界がどん詰まりなのだなとは感じていた。人類が成熟しすぎて、逆にもう何も目新しいものは発見できないんじゃないかと。世界はこのままどこにゆくんだろう。どこまでゆくんだろう。
けれども何も生まれなくても世界は続いている。わたしがパリから帰国してもパリはいきづいている。わたしたちの「家」だったあのアパルトマンでは、今も他の誰かが生活している。
わたしがパリで再びみつけた宝物は、場所がパリだというだけで、何ていうことはない毎日だった。朝起きて、仕事して、家事をして。毎日がデートのようにあちこち出かけることができたけれど、その場その場でフランス語が通じなくて、わからなくて落ち込んだり、ただ暑いからといっては小さな喧嘩をしたり、本当に取るに足らない、東京の毎日と同じ日々。
だけど毎晩寝る前に考えた、「わたしは何ができるんだろう」。もういい歳なのに青臭すぎるこの質問は、ライターという仕事ができるようになった時点では忘れかけていたものだった。最初はただ文章を書けることが嬉しかった。でも、今はわたしの中で、次の段階に進むべき時期に来ているようだ。願わくばこの思いが、また荒々しく通り過ぎてゆく日常の中にまぎれ込んでしまわないように。パリのアパルトマンで感じた、窓から窓へと吹いてゆく冷たい風のように、ふとした時に思い出させてくれますように。

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