mercredi 27 juillet 2005 22:02
むしろ代チョコがなつかしい
catégorie: 音楽/映画/本/漫画/ゲーム > 音楽

mixiでフリッパーズの89年代々木チョコレートシティのライブ音源を教えてもらって、
さっそくiTunesとiPodに入れて何度も何度も聴き返してるわけなんですけど。
わたしは単純に、わー生音源だーわー喋ってるー間違えまくってるーパステルズバッヂのコーラスったらなんて美しいのかしらーくそぅスウェーデン語がわかればなぁー、
とか何とか感動に打ち震えて、そのトピにも一言二言ほど書き込んだんですが、
後からついたレスを見てると、「悲しい」って言う人が多いんですよ。
なんで? なんで悲しいの? 「嬉しい」じゃないの?
今はもう存在しないんだとかもう戻らないんだとか、
これを聴いてもう一度! とか思わないかなー、とか(それはちょっと言い過ぎな気がするけど…)。
あぁ、そういえばわたしもずっとそんなことを考えてたっけ。
自分に起こることと絡めて、どうして失ったものは二度とは戻らないんだろう、
とか、あんなに考えて悩んでいたのに、どうしてすっかり忘れてしまってたんだろう。
これはたぶん、たとえば他のわたしの好きなもので言うと、スラムダンクがそうだ。
第二部やってほしい! っていう熱狂的な声が今でもやまないし、
事実わたしも読破した後は自然にそう思った。
でも今ではスラムダンクはあそこで終わってよかったな、と思うし、
フリッパーズはおそらく彼らの目論見どおりというか、彼らだからこそこういう終わり方になったっていうか、こういう終わり方だからこそ彼らだったっていうか。
うーん、眠いときに考える問題じゃないなぁ。
ていうかやはりフリッパーズを考えると数学的なものを経て宇宙にたどり着くなぁ。
フリッパーズファンていうのはある種の感情を共有できる人たちで、
だからこそ彼らの終焉がひどく悲しいし、逆にこういう感情を持てるから
彼らの音楽、スタイルまで含めてファンなんでしょ。
でも「わかりあえやしないってことだけをわかり」あったはずなのに、
どうしてもわかりあおうと躍起になる、もしくはわかってよと詰め寄る、
これは美しくないなー。
わたしはと言えば、あまりにも呪いが深すぎて一周してしまったようだ。
16年前なんてすぐで、あっという間で、いつでも行ける。
わたしは今「ここ」にいるけれど、いつでもあの頃の感動が手に入るし、
その感動を手にするわたしは、「ここ」と「あの場所」に同時に存在することも可能だ。
けれども一番悲しいところだけは避けて。
あぁ、でもこれって気持ちをこじらせてどうかしちゃった悪い例かも。
つまりは、終わりのないものにはドキドキするような秘密がたくさんある。
悲しんでるヒマがあったら生産的になりましょうよ、
っていうお話でした。
Commentaires
フランスで、本田 ユカ を 見ました。 良かったです。このネットページから、 有難うございますよ。
またね
Ce site internet est très intéressant , n'est -ce pas?
Mais je suis desolée de ne comprendre pas le suédois.