dimanche 15 février 2009 13:49
1歳の終わりの始まり:イヤイヤ編
catégorie: 人を育てるということ > 観察記録
誕生以来、大変手のかからない子だったトマにも、それなりにイヤイヤ期がやってきたようです。
基本的には今まで通り、聞き分けのいい子なのですが、「自分に非がない(あるいは、自分なりの理由がある)のに、事がスムーズに運ばない(または、叱られる)」ことに対しては、全力で拒否をするようになってきました。
基本的には今まで通り、聞き分けのいい子なのですが、「自分に非がない(あるいは、自分なりの理由がある)のに、事がスムーズに運ばない(または、叱られる)」ことに対しては、全力で拒否をするようになってきました。
と言っても、神様語と日本語が半分ずつの言語なので、いまいち伝えきれません。
それがまたイライラするので、結局「ンギーーーッ」と奇声を上げてしまうのです。
奇声は、聞かされる方はつらいです。こっちの方がよっぽどイラっときます。
しかし、それも言語が拙いためのもどかしさゆえだとわかるので、あまり叱る気にもなりません。
まぁ、あんまりひどいときは奇声で応酬するけど。「負けねーぞ!」って。
でも、日本語で表現できる苛立ちには、少しかわいいものがあります。
「イッタン、モーヲー」(わたしに対して何かむかついている)
「チーシャ、モーヲー」(チーズちょうだいよ、もー!)
「ガッコォー、シィーチェエーヨウ」(だっこしてよ!)
などなど。
こうやって怒ってるときは、本人の意に反して、ついプと笑いたくなります。
語尾に「〜ヨウ」がついてきたあたりが、2歳児らしくていいです。
他に、「コーワァイヨウ(怖いよ)」とか「イタイヨウ(痛いよ)」とか言います。
転がってるだけだったトマがそんな人間みたいな言葉を話すなんて、母さん怒りを通り越して感無量です。
なお、イヤイヤ期と同時に甘えんぼ期でもあるのか、家にいるときは「ガッコォー、シィーチェエーヨウ」とうるさいので、「もっと可愛く言って」と言うと、「ガッコ♥」と言ってくれます。
そういうとこはやっぱ素直です。
きっと、もっと言語を習得したら、なくなる苛立ちなんじゃないかと思ってます。
これが解消した頃には、また別の苛立ちが現れるかもしれないけど、そうやって繰り返して人生を費やしていくのだと身を持って知ってるハハは、あまりきつく諫めないようにするだけで、のんきに構えてます。
ハイ、また自己判断。
でも、わりといい線いってるんじゃないかと思う。
ていうか、トマに関してはそんな人並みのイヤイヤが出てきた方が、子供らしくていいなと思う。
よくも悪くも素直というかまじめというか、神経質というか…自発的にいろいろやってくれるのは助かるんだけど、わたしですら「きみはきちんとした子だなぁ…」と、感心&呆れてつぶやくことが多々あるので。
受け答えなんて、「ハイ」だもん。しつけたわけじゃないのに。
そんなんじゃリア充になれないぞ!
と、貧乏くじばかり引いてきた損な性格の親は思うのです。
カエルの子はカエルでしかないのか…保育園でみんなで遊ぶときも、緊張することが多いみたいで、先行き不安です。
楽しいからテンション上がっちゃって、神様語でおしゃべりしてるんだけど、自分の番が来ると固まっちゃうらしい。
「わたしまさにそんな子だった」
「オレまさにそんな子だった」
やっぱりカエルか。子育てって、無い物ねだりなものなのですね。。
ちなみに、トマのクラスはもうほとんど立派におしゃべりできる子ばかりですが、トマの神様語をまねしてるのか、合わせてるのか、またブームを作ったりしてるみたいです。
先生は「かわいいんですよー」って言ってくれるけど、しゃべれる子の親御さんからしたら、赤ちゃん返りみたいであまりいいものではないのかなーと思う。
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