mercredi 23 avril 2008 12:37
死刑判決
catégorie: 万年思春期的思想
バスの中でふと携帯を見たとき、待受に流れるニュースで、光市母子殺害事件に死刑判決が出たことを知った。
わたしは正直、うれしかった。
この生ぬるい国では、きっと今日も死刑判決は出ないだろうと思ってたから。
わたしは正直、うれしかった。
この生ぬるい国では、きっと今日も死刑判決は出ないだろうと思ってたから。
この事件のことは、いつも気になっていた。
性犯罪のことで、わたしが何も考えないわけがない。
だけど、わたしは死刑制度の是非について詳しく知らないし、少年法に対しても同じこと。それについて調べて考える時間も体力もなかったし、何より、この事件そのものがあまりにもつらすぎて、考える勇気がなかった。
いま言ったように、わたしは死刑制度にも少年法にも詳しくない。
なので、一国民の「感情」として書く。
わたしは、「死刑にしてやってほしい」と思っていた。
本村さんはああいう方なので、はっきり言って同じクラスにいたら、好きになれないタイプだと思うし、そういう人は多いように思う。だから、たくさん叩かれたりもしていたし。
だけど、彼はそうならざるを得なかったんだろうし、あそこまで徹底してくれたら、もう好き嫌いなんかどうでもよくて、ただもう「お願いだから死刑にしてあげてよ」とまで思えた。
わたしは死刑制度の是非に詳しくはないが、個人的にはあっていいものだと思っている。
もし日本に終身刑が導入されたとしても、それでもぬるい犯罪はあるはず。まさに、この事件のような。
この事件に限っては、死刑以外に思い当たらない。
少年法…被告は、果たして純然たる少年だったか?
その残酷さのせいか、テレビではあまり言われないが、彼のしたことは「殺人と強姦」ではなく、「殺人と死姦」である。こんなに屈辱的な犯罪があるだろうか。それを傷害致死だなんて、弁護団は何なんだ。
そんなことをする「少年」を、守る必要はあるのか?
いや、そもそも少年だからと言って、シャレにならない犯罪に手を染めたら、厳罰が当然だろう。
だいたいが、少年法が時勢に合ってないのだろう。
少年は、テストを受けながら、親にこづかいをもらいながら、部活をしながら、給食を食べながら、セックスをするのである。
そしてセックスをした翌朝、その体でまた学校へ行き、テストを受け、部活をし、給食を食べるのだ。
これが果たして、純然たる子供か?(サルのようにセックスをするからコドモ、という意味ではそうだろうけど)
「少年の誤ちは正しい方向へ導く」のが建前だろうが、間違えてセックスされちゃたまらんのだよ。しかも、殺されたうえでなんてさ。
この誤ちを、どうやって正せる?
そこで、死刑だ。
だけど、被告が死を持って罪を償ったとしても、彼は死後、犯されるわけではない。弥生さんが味わったことを被告もまた味わうなんてことは、けしてないのだ。
それでいったい、何が償えると言うのだろう。そういう意味でも、「死刑にしたって遺族感情が晴れるわけではない」と言えるだろう。
そう、被告を死刑にしたって、故人は帰らない。だけど、それでも死刑を求めたい。なぜなら、それが被告には「妥当」だからだ。「死刑にしない理由がない」からだ。
それでも、この国は死刑判決を出さないだろうと思ってた。
それが、出た。
案の定、上告されたけど、これ以上、遺族感情と国民感情を逆撫ですることはやめてほしい。
もう、死刑でいいじゃないか。
最後にもうひとつ触れておきたいのが、被告が突如言い出した「ドラえもん」。
いくら弁護団がバックについたからって、あまりにもオリジナリティがなさすぎるだろ。
妄想のある人間を、バカにされてるような感じがした。本当に不愉快だった。
藤子先生にあやまれ!
ああ…やっぱり、締まらなかった…。
でも、ここまでが、いまの自分の素直な「感情」。
この事件に関しては、理性的になりたくない。
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