mardi 28 août 2007 00:30
この一週間【土曜日】
catégorie: 泡の中の、ある日
【土曜日:諸行無常】
またもや点滴抜いたら、ぶしゅーっと血が。止まりません、ええ止まりません。
昔から血は止まりにくかったけど、そっか、貧血のせいだったのかーこれは。
つうことで、検査することになりました。ぶっといので2本も採血されました。貧血の検査で血抜くの、解せない…。
またもや点滴抜いたら、ぶしゅーっと血が。止まりません、ええ止まりません。
昔から血は止まりにくかったけど、そっか、貧血のせいだったのかーこれは。
つうことで、検査することになりました。ぶっといので2本も採血されました。貧血の検査で血抜くの、解せない…。
mitsupuiちゃんに2人めの赤さんが産まれたので、駆けつけてきた。

2600gちょっとの女の子。切れ長のまぶたの奥に、魅惑の大きな黒い瞳。はぁ、やっぱり女の子はいいわ〜。
しかしこうやってみると、トマソンでかくなりましたねー。毎日会ってるけど、最近また大きくなったなーと思ってたとこだったの。
やはり経産婦さんは産むのも早く、普通分娩なら退院も早い。
もう歩いてたもん、カイザーのわたしからしたら、びっくりの回復力。いいなー、わたし寝てるのやだったんだよねぇ…。
それにしても、友達と話すのは楽しくなったけど、会った後に胸が苦しくなるのは、いくつになったらなくなるんだろう。
帰宅したら竹炭からメールが。
「件名:お知らせ 本文:24日の夜中の2時に亡くなりました、告別式に私とお父さんでいってきます。」
誰が。妹とかだったら、不意打ちすぎて泣いちゃうぞ!
ま、おじいちゃんだってことはすぐわかったけど、ちょっと突っ込んでみたかった。突っ込んだけど。
というわけで、竹炭方のおじいちゃん、トマにとってはひいおじいちゃんが、亡くなりました。
享年何歳だ? 癌でした。
おじいちゃんはおばあちゃんが死んだ後ボケたので、老人ホームに入ってたのだけど、数年前から癌だと聞かされてました。トマが産まれる頃から、「そろそろだから覚悟しろ」とも言われてました。延命措置はとらない方針だったようです。
わたしはトマのことがあるので、葬儀に行かなくていいそうです。そんなもんなのかねー。そりゃー夏は酷暑、冬は雪深い福島に赤子を連れて行くのは、難儀だけれども。
うちは核家族で、田舎にもあまり行く方ではなかったので、わたしはおじいちゃんおばあちゃんたちとは、なじみが薄かったです。小さい頃は、訛りが強くて何言ってるかわかんないから、ちょっといやというか、こわかったというか、だったし。
だから、なんとなくおじいちゃんおばあちゃんは、「死ぬもの」と思ってました。時期が来たら死ぬ人たち。だから、悲しいとか思わないんだよねーあんまり。
トマにとってはせっかくのひいおじいちゃんだったから、もったいないなとは思うけど。でも、もうだいぶ前からボケて、わたしのこともわかんなくなってたけど。そっちの方が悲しかったな…人間の末路を見たようで。
実はおじいちゃんとは、血のつながりはないのです。おばあちゃんが竹炭の父親と死別した後、再婚したのがおじいちゃんらしいので。
竹炭のお父さんは、竹炭がうら若き乙女の頃に、亡くなってたのですねぇ。そんなこと一つも聞かされずに、大人になるまでおじいちゃんは本当のおじいちゃんだと、疑いようもなかったわたしですけど。
うちの父からちょこっと聞いた話によると、竹炭の亡くなったお父さんの死因は、何でも誤診なのだとか…竹炭が何も言わないから、何も聞いたことはないけども。
おじいちゃんの思い出。
元国鉄職員で、大の西武ファン。父も西武ファンなので、昔はよく西武球場に連れてかれたよ。
左の人間だったので、赤旗まつりも連れてかれたなー、普通のお祭りだと思ってたけど(昔は味の素スタジアムんとこでやってたのよ)。年賀状には毎年、「赤旗しんぶんを取ろう!」って書いてあったなー、意味わかってなかったけど。
田舎のお家でお兄ちゃんとガンダムごっこで遊んでるとき、お兄ちゃんがガムテープを隠したので泣いたら、「うるさいから泣かすな!」とお兄ちゃんが怒られて、子供ながらに「怒る理由が違うだろ」と思ったなー(てか、それよりガムテープでどんなガンダムごっこをしてたのか…確か、機体はテーブルを立てたものだったけど、じゃぁガムテープは何…?)。
高校1年でおじいちゃんが東京に来たとき、もらったお小遣いで渋谷で内緒でピアス開けたら、おじいちゃんの「渋谷に行くって言ってた」というタレコミで竹炭にバレて、外出禁止されるほど怒られたなー。友達(そういえばmitsupuiちゃんではないか!)との電話の会話、聞いてたのね…ヘタに国鉄職員だったもんだから、東京の路線にも詳しくて…しくじったぜ。
大学生で留学する直前、数年ぶりに福島に行った。このときで何回めだったんだろう、それ以前の記憶はほとんどない。
おばあちゃんが弱ってきてたので、珍しくたくさん食べて、おばあちゃんにも食欲を出させることに成功したときだ。
そのときのおじいちゃんは、高校野球のトーナメントを手書きするのが日課だった。好きなだけに、かなり細かく書き込まれてた記憶がある。「ボケ防止のために」と言ってて、えらいなーと思ったものだった。タバコも強いのはやめて、キャスターにしていた。その頃わたしもキャスターを吸ってたので、「お揃いだね」とか言ってた。
おばあちゃんが骨折を繰り返して家事どころじゃなくなってたので、おじいちゃんが料理していた。男の料理は、刺身だ。まぐろの切り身とかだ。おばあちゃんは、とてもじゃないが食欲が出なかったらしい。
そうやって2人とも、弱っていった。
その後すぐ、おばあちゃんは死んだ。その頃にはおじいちゃんは、ボケ始めていた。でも、葬儀の最後に泣き出したのを見て、何とも言えない気分になった。
その後のおじいちゃんは、ボケる一方だった。トーナメントは、いつから書かなくなっちゃったのかな…。
いかん。悲しくなってきた。
いや、悪くないだろ! 死んだときくらい悲しんだって。
お葬式に行けなかったので、お墓参りくらいは行こうかと思います。
11月にバリかパリに行こうと思ってたあたりが、季節的にはギリかな。あまりにもずっと忙しいから、ちょうどやめようかって言ってたとこなの。
お墓参りして、紅葉楽しんで、温泉入って、おいしいもの食べよう(なんか目的が変わってきた気がするが)。
ところでうちって、喪中になるのかしら?
しかし、どこかで産まれれば、どこかで死ぬのねー。
この世は諸行無常よのぅ。
それでもわたしは、明日に向かって産むしかないね。久々に新生児を見て、すっかり2人め欲しいモードです。
トマが大きくなるのは喜ばしいんだけどさ、だんだんかわいげがなくなるんだろうなーと思うと、すでに寂しくて。今、大変だけど、ちょっと今のままでいてほしくもある。
でもわたしはカイザーさんなので、子宮の回復を普通分娩の人より、時間をかけて待たなくちゃいかんのらしい。そうしないと、切ったところが裂けちゃうんだって。
いいんだけどね、裂けても。会陰が裂けるのは考えるだけで泣きそうだけど、腹が裂けるのなんて何とも思わん。
会陰はありえないよ、確かに入れるよりは出す方が理にかなってる臓器ではあるが、だからと言って、物事には限度ってものがあるだろう。常識をわきまえてくれたまえよ、ほんとに(普通分娩未経験なので、恐怖心いまだ覚めやらず)。
腹はね、無事に出てくれば裂けたって、また閉じればいいだけだと思うんだけど。
わたし、ハートにヤワなガラスを使った分、ボディはにぶーくできてるから。
だが、そんなわたしでも陣痛は痛かったんだからな。
興味本位で陣痛体験してみたいとかぬかすお嬢さんがた、死ぬ気で覚悟しとけよ。
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