vendredi 20 mai 2005 14:53
すい、16歳・夏〜L'histoire de 盲腸〜
catégorie: 大昔をふりかえる

1992年、東京。楽しい楽しい夏休み——。
当時わたしは高校2年生、バスケ部に所属していた。
ちょうど大事な試合前で、夏休みといえど連日猛練習。
ヘタクソな上にやる気のない不真面目な部員だったわたしも、
部全体がかなりピリピリしていた時期だったので、
びびって珍しく毎日練習に参加していた。
ところが数日ほど前からお腹の痛みを感じ始めていたのだ。
それは徐々に夜中に飛び起きるほどの激痛に変わってきた。
とにかくトイレに行くのだが、脂汗以外何も出ない。力尽きて眠る晩が続いた。
しかしこんな時期に練習は休めない。
朝になると少し痛みが落ち着いたので、無理やり学校に行っていた。
でも夜になるとまた痛みだす…。
ある日の晩ご飯はみんな大好き、すき焼きだった。
お腹の痛みに加えて厳しい練習のつらさ、そして思春期特有の情緒不安定さを
抱えていたわたしは、鍋を少しつついては泣き出していた。
それを見て父は、「そんなに肉が嫌いなら野菜を食え!!」と、
まるでとんちんかんな方向へわたしを叱咤したものだった。
確かに当時のわたしは肉が食べれなかったのだが(でも野菜も嫌いだったんです…どうしろと!)。
試合の前日は練習が休みだった。
しかしとうとう微熱が出始めたので、母に連れられて近所の病院に行った。
すると白血球数が異常に増えている。これはもう盲腸に間違いない!
と、紹介状を持たされて大きな病院へ行くことになったのだ。
でもうちの母ったらひどいの…「今お金足りないから!」と言って、
熱がどんどん上がってゆくわたしを放置して、家に一度帰ってしまったのよ。
仕方なく本屋でMCシスターなどを立ち読みして時間を潰していたのだが、
昔から平熱の低かったわたしはもうフラフラで、何を読んでるのかすらよくわからない。
そこへ偶然友だちがのんきな顔して通りかかり、「げんき〜?」などと声をかけてきた。
「元気じゃない」とぜーはーしながら即答し、訳を話すと友だちはパニックになっていた。
でも彼女は母が戻ってくるまで励ましてくれていた。
いい子だった…元気にしてますかK野さん…!
そして母が戻ってきて、タクシーで病院まで行った。
今思えばあの状態なら救急車もアリだったと思うんだが…。
日曜だったので救急外来に連れて行かれた。
腹がいてー! 熱がしんどい! って訴えてるのに、紹介状もあるのに、
高校生で夏休みということだけで、妊娠を疑われた。
毎日練習でそんな暇ねー! って言っても却下。
さらに採血をするのに新米らしい看護師さんが手間取ってしまって、
両腕にあちこち穴を開けられたあげく、結局右足の甲から血を抜かれた。
こんな肉のないとこから血抜かれるの、なかなか地獄ですよ…!
結局入院することになって、部屋が空いてないので個室に入れられ、
やっとベッドに横になることができた頃には、熱は40℃を超えていた。
後にも先にもこんなに発熱したことはない。
お腹の痛みを感じられないほど熱で体中が痛み、
一人ぼっちの部屋で泣いて泣いて泣きまくった。
ところが、こんな緊急入院だったのにもかかわらず、すぐに手術にはならなかった。
診断が一転して盲腸ではなくなったのだ。
なんだかやたら張り切ってわたしの世話をしてくれていた看護実習生がいたのだが、
「結局何の病気なんですか?」と心配して聞く父に、彼女ははっきりと
「盲腸ではありません!」と答えていたのを、わたしは確かに聞いた。
そうこうして日が経っていくうちに熱は下がり、お腹の痛みもやわらいできた。
でも病名がはっきりしないってことで、退院にはならなかった。
大部屋に移り、朝は父が出勤前に朝刊を届け、日中は漫画や雑誌を読みふける。
夜になると正面のベッドのばあさんの寝言におちおち寝てられない、
そんな生活を過ごしていた。
正直もうどこも痛くもかゆくもないし、暇だし、お風呂に入りたかった。
わたしがすっかり暇生活に慣れてきた頃、同じ部屋に盲腸の患者さんが入ってきた。
彼女はわたしより少し歳上で、破裂寸前だったので救急車で運ばれてすぐに手術し、
この部屋へ移ってきたということだった。
他に若い子がいなかったのでわたしたちはよく話した。
わたしがセブンティーンを読んでると、「いまセブンティーンなの?」と彼女に聞かれ、
「ううん、まだなってないの」と答えた記憶がある。
わ、若い…初々しい、ちょっと可愛くすらあるな、自分が。
でも、なんで彼女は手術をして、わたしはしないんだろう、と疑問だった。
白血球の増加から見ても絶対盲腸のはずなのに…。
今やわたしは病室内のマスコットガールになりつつあった。
看護師さんもね、ばあさんよりは若い女の子のほうを面倒見たいもんらしいです。
ところが、のんきに入院生活を楽しんでたわたしに、ひどい仕打ちが待っていた。
それまでもいろいろな検査に連れて行かれてたので、よく考えなかったのだ。
それに、まだその頃は何も知らなかった。
また検査に行きますよ、と看護師さんに車イスに乗せられ、病院内を進んで行った。
ずいぶん人気のない方へ行くんだな、と思ったら、産婦人科だった。
「え?」とは思ったものの、そのままその部屋の中に車イスごと入れられた。
じいさんの医師がいて、まずは尿を採れと言われた。
状況が飲み込めないままトイレで採尿してじいさんに渡すと、
彼は妊娠検査薬にちょろっと垂らして、反応がないとわかると、
残りをバシャーッと窓の外へ投げ捨てた(注:1階です)。
「えーっ、あんなにたくさん採ったのにぃ」とちょっと残念だった。
しかしその後、カーテンの向こうの台に乗れと言われた。
それは初めて見る変な形のものだった。
乗ろうとしたら看護師のおばちゃんに、「下、全部脱いで」と言われた。
えぇぇぇぇぇ。パニックになるわたし。
とにかくパジャマのズボンを脱いでもじもじしてると、「パンツも!」と言われる。
何が何だかわからなかった。何をするのか、すごく怖かった。
結局わたしはそこで生まれて初めて内診を受けた。
内診というものをまだ知らなかった。検査の前に何も説明を受けなかった。
再び車イスを押されて部屋に戻るあいだ、放心していた。
あんまりにもショックすぎて、ベッドにもぐり込んで出て来れなかった。
親にも誰にもこんなこと話せない、とかなり思いつめた。
妊娠は抜きにしても女の子なので、腹痛を訴えたら確かに婦人科系の病気を疑うことはあると思う。
軽くそんな話をされてたみたいだけど、父は
「まだ高校生だから、下手なことしないほうがいい」と言っていた。
だけど婦人科の検査をすることは親にも知らされず、当の本人は
婦人科系の病気の存在すら知らなかったのに。
そしてまた数日が経ち、わたしがショックを心の遠く遠くへ押しやって
なんとか平静を保つことができ始めた頃、同じ部屋の盲腸の彼女は退院して行った。
わたしもこのまま退院するのかな、と思っていた。
そしたら突然、手術をすることになった。やっぱり盲腸だったのだ。
徐々に食事を減らしてお腹の中を空っぽにしていき、手術当日になると浣腸をされた。
ものすごい腹痛で叫びそうになったが、すぐにはトイレに行かせてくれなかった。
何分間か待たされてトイレに行き、出したものを看護師さんに見せなきゃいけなかった。
そして肩に麻酔を打つ。筋肉注射は痛いよー。
手術室へ運ばれ、今度は腰に麻酔を打つ。
どひゃぇぼぐぁぉぉぉぉぉ〜!!! 声にならない悲鳴。
肩の麻酔の比じゃなかった。あまりの痛さに台から落ちそうになった。
担当の医師は始める前に、「盲腸なんて簡単だから。すぐ終わるよ」と言っていたのだけど、
実際始まると、室内にはなぜかラジオ(FMか?)が流れ、医師たちが
「このあいだ、○○さんと飲んじゃってさ〜」などと雑談している。
局部麻酔なので頭の中はクリアだし、お腹のあたりがなんかいじられてるのもわかる。
なのに、なのに、人のはらわたいじくりながら居酒屋トークはないでしょぉぉぉ〜!
と思うと、涙が込み上げてきた。
すると同時に肩をポンポンと叩かれ、「終わったよ」と言われた。
その後は意識を失う。
目が覚めたのは麻酔が切れて呼吸困難とお腹の激痛を感じたからだ。
いくら盲腸といえど、腹を切るってのは痛いんだなぁ〜と思った。
部屋に戻され酸素マスクをしてぜーはー、スーハー、試合はまだすですか監督状態のわたしを見て、
婦長さんは「アラ、手術したの? もう退院だと思ってたのに」と言った。
担当医師は、「部活なんて出てるからだ! もう少しで破裂寸前だったよ」と言った。
妹はわたしの摘出した盲腸のポラ(丁寧にも撮ってくれた)を見て「明太子みたい」と言った。
おまえら…勝手なことばっか言いやがって…!!!
その後抜糸やガスが出るまでのあいだ、バスケ部の子が全員お見舞いに来てくれたりした。
もうずいぶんお風呂に入ってないから汚いよ、と言ったのに、
「そんなことない、全然大丈夫」と言ってぎゅっと抱きしめてくれた子もいた。
結局退院できた頃には夏休みは終わっていた。
時間にすると1ヶ月以上も経っていたのだ。
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よく考えると、この話おかしな点が多すぎません?
普通、盲腸で1ヶ月も入院します?
しかも診断が一転二転している。
そして婦人科での仕打ち…!
今思い出してもつらい思い出です。腹も立ちます。
これ、訴えたら慰謝料とかもらえんのかなー。
もう昔すぎてダメかなー。
とにかくみなさん、病気は何でも早期発見ですよ!
あと、病院選びも慎重に行ったほうがよいですね…。
Commentaires
バイト経験がまったく生かされていません!
本題。
すごく痛いの我慢してたんだね…。
紹介状あるのに、盲腸じゃないって…。
そしてなによりも、婦人科。
親にも言わないとかってあるんですか…!
しかも多感な時期の少女を! ひどい!
にしても、すいさんは色んな経験しているなー(笑)
盲腸でこんなに色々…うぷぷ。
ごめんね、人事で笑っちゃったよー。
でも、ほんと盲腸でよかった。
病院は新調に選びたいです…。
それはもうはちきれんばかりに肥大してたよ…。
高校生だからって最初からそういう目で見られたのがすごく嫌だったよ。
ちょうどコギャルが出てきた頃だったけどさー。
42,3℃熱あんのに妊娠はないだろ…。
内診はショックでした。絶望しました。涙も出ないほどに。
楽しい経験ならいいけど、こんなのはもうやだねー。
盲腸まじ痛いす。さっつんもお気をつけてー。